◆150904 読書日々 740
「あなたの庭はどんな庭?」
1 評伝「山本七平 異例の日本人」のレジメ(目次)ができた。すごいことなのだ!
わたしのこれまでの経験からいえば、といっても30代の終わりから60代の終わりまでのことに過ぎないが、レジメ(Contents)ができれば、半ば(気分上のことで)出来上がったも同然と見なすことができた。しかし『日本人の哲学』全5巻を書き出してからは、そうはいかなくなった。遅々たるというか、亀の歩みになった。ゴールは見えるが、書けば書くほど遠ざかるように思えるのである。なぜか?
分析するまもなく、1巻を仕上げるあいだに、実質的に、次の巻に取りかからざるをえなくなる。どうしようもなく、気がせくのだ。じゃあ、書くことに奔命しているかというと、そうではない。昼飯を食うと、おのずとビール缶を握っている自分に気がつく。なんだか、「ゴール」を自ら遠ざけたい、そんな気分に思えてしかたない。
2 山本七平論は、500枚書け、とのご下命である。レジメができた。こんどは、なんだかすらすらと書けそうな気になっている。不分明な論点、読まなければならない著作がつぎつぎに出てくるにもかかわらずだ。おそらく原因は山本という論評対象にある、といっていいだろう。でもそればかりではない。「あなたの庭はどんな庭?」を終えてしまった気分なのだ。
かつて「吉本隆明論」(1990)を書いた時も、「柳田国男」(1999)を書いた時も、わたし自身のなかでは、蚕が繭を吐くように、すらすらと書けてしまった。特に柳田の場合、その焦点になった「農政学の挫折」を、論敵横井時敬との対比をとおすことで、書くことができた。柳田は、農商務省の官僚として、農本主義(=旧時代の日本農業)批判という形で、西欧近代農法をモデルに農政学に専心した。まるで「共産党宣言」のような高い調子で、論敵たちに打ちかかっていた。柳田の民俗=民族学への転向(=転身)の心因である。
といっても、柳田は、敗戦後まで生き延びて、挫折した「農政学」が再評価され、自分の「学」的挫折を隠蔽してしまった。わが吉本隆明も、師の谷沢永一も、その柳田論で、見落とした重大ポイントだ。
3 わたしは、もし命が少しながらえることができたら、なんども語ってきたように、「評伝・三宅雪嶺」と「福沢諭吉の事件簿」(全3巻)を仕上げたいと願っている。前者はすでにレジメもでき、もっとも不分明な時代のことを100枚ほど書いている。『日本人の哲学』の1と5で、すでに三宅の全貌を書いた。入手不能に思える著作も、全部(?)揃っている。誰かが「やれ!」と肩を叩いてくれたら、仕上がってしまいそうなのだ。ただししあげるには多少の時間が必要だ。
「福沢諭吉の事件簿」のほうは、すでに2巻出来上がっており、残る3巻目はよほど困難なく書くことができる、と思えている。ま、そうは問屋が卸さないだろうが。ま、福沢スクールが、各所で馬脚を現す、諭吉自身も過去の口・行跡の責を問われる事件が続発する時期に当たるが。
4 でも、3は贅言というものだろう。山本七平は、重病に陥った時、『イエス伝』の注文があった。そのとき息子に仕上げたい仕事を3つあげた(そうだ)。山本の「楽園」、①イエス伝②天皇論③日本資本主義の精神、である。
だが3つとも、すでに書いた、独立の書物で存分に書き上げた、といっていいテーマだ。わたしは一瞬、「決定」版あるいは「教科書」版なのか、つまりは「楽園」なのか、と思ってしまった。が、著者は「注文」で書く、という事例を再確認した。
じゃあ、おまえは何を最後に書くのか、と問われれば、やはり『日本人の哲学』だというほかない。これは注文ではないから、締め切りも枚数制限もない。出版社も含めて、すべて独立プロの自主制作に等しい。ようやく4/5までこぎ着けた。最後の4巻目(自然・技術・生活の哲学)には、『暮らしの手帖』も登場させる予定だ。そういえば、来年のNHK朝ドラは、「暮らしの手帖」のもう一人の創立者、大橋鎮子(1920~2013)になるそうだ。戦前、大橋は「日本読書新聞」の編集部で、「手帖」の初代編集長花森安治(1911~78)と机をともにしている。妹も創立に参加したのだから「とと姉ちゃん」だそうで、いまから楽しみだ。ただ、いまやっている朝ドラは、主役ともども、面白くない。能登をバカにしてはいけない。そういう思いだ。