山本七平(言視舎)

9784865650512

ベンダサンと山本七平は別人である!

1 処女作にはすべてがある。
 すぐれた処女作は、どんなに作者から離れているように見えても、「自画像」である。
 吉本隆明 1924~2012 「マチウ書試論」
(1954 『芸術的抵抗と挫折』1959)=イエス(ジュジュ)はいつキリストになったか)
 小室直樹 1932~2010 『ソヴィエト帝国の崩壊』(1980)
 丸山真男 1914~1996 「超国家主義の論理と心理」
(1946 『現代政治の思想と行動』1964)
 司馬遼太郎 1923~1996 『梟の城』(1960)
 イザヤ・ペンダサン『日本人とユダヤ人』(1970)
 山本七平 1921~1991 『ある異常体験者の偏見』(1974)
 これら処女作のすべては、「いまだ何ものでもない」ものが「何ものか」になろうとして、「何ごとか」(something)を書き上げた成果である。しかも、「自伝」である。「立志伝」(a story of a self-made man)であり、「偉大なこと」(something great)をなし遂げる「端緒」である。と同時に、処女作には、作家が成就するもののすべての要素が含まれている、と断じてもいい。とりわけ山本がそうだった。その全作品は、「自分」(self made man)研究でもある。自分史を、暗黙裏のうちに、書く。これが山本の「立志」であった(と思える)。
2 日本と日本人の「履歴書」を書く。
 しかし山本(「現存在」)は、「自分」からもっとも遠いもの、比較対象化された、日本と日本人の「歴史」を書こうとする。端的にいえば「日本と日本人とはいかなるものか?」に、日本と日本人とは異なる対象と比較=相対させ、答えようとする。そうしてはじめて日本と日本人の「自画像」が書ける、とするのだ。従来の自画像に欠落したものを、民主主義(作法)と科学(作文)を、まったく異なった形で提示するに至る。
 山本七平は、民主主義と科学と平和の「敵対」者のごとく語られることがある。少なくない。保守反動という人がいる。多い。天皇主義者で、軍国主義の復活を願う人間だ、と指弾する人がいる。とんでもないことだ。すべて、一読しないでする、読んでも「自分とは違う」と感じることから生じる「幻像」(imago)だ。
 わたし(鷲田)自身の山本「像」は、七〇年代、八〇年代、九〇年代と変わらなかった。一読もなかった(?!)ので、「わたしとは違うな!」という幻像にとどまった。それが、二一世紀になるまで、山本の著作を本格的に読まなかった、結果である。
 わたしは仕事で(書くために)山本作品を読みはじめた。しかし、肝心なところを読み間違っていた。「ペンダサン=山本」としていたからだ。本書で訂正したい。できるなら、読者の皆さんにも、訂正してもらいたい。
 本書は「山本七平への旅」である。かなり長い。でもていねいに辿れば、遠くはない。
(「はじめに」)

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