読書日々 797

◆160930 読書日々 797
「だぼ鯊」の天ぷらは美味かった。黒龍はもっと美味かった
 天高くというが、まさに今日がそれだ。風がなく、空気は冷え冷えと感じる。でもまだ寒くはない。一年中で最上の季節である。ただし、あっというまにすぎる。ま、それが「秋」なのだろう。
 1 26日、残暑の中、上京した。27日夜、出版社の杉山編集長と、浦西和彦さんと、『谷沢永一二巻選集』の完成をささやかなりと祝うためだ。選んだのは長年行きつけの八重洲の「だぼ鯊」だったが、残念ながら浦西さんが不如意で欠席ということで、『理念と経営』の背戸さんに出席を願った。マスターの高橋さんに美味い酒をと頼んでおいたところ、「黒龍」の純米大吟醸を取ってくれていた。この酒は美味い。とびっきりだ。福井の銘酒だが、福井は酒がいい。何か、一つ一つ、事が終わってゆく。心安まるが、少し寂しい。
 下は「人間通」の精撰で、「紙つぶて」(書物通)「歴史通」「忘れ得ぬ人々」(人物通)「巻末御免」(時局通)という、谷沢コラムのエキスの集成だ。手に取って読んでほしい。その前にまず買って、書架の真ん中において欲しい。大好きな装丁家菊池信義さんの手になるもので、二冊並べると「家宝」の趣がする。
 まだ50前の時だ。お会いしたことのない谷沢先生から手紙を戴いて、きみの本は「最上ランクの場所に置かせて貰っている」というような趣旨の内容が書かれていた。蔵書15万冊、伊丹図書館より多いと聞いていた先生の書庫は、ついにお目にかかることがなかった。(が、のちに「谷沢永一の書斎」を背戸さんに代筆させられた。)それからしばらくして、大阪でも、東京でも、そして札幌でも、紀伊國屋や三省堂だけでなく、かなり多くの書店で、哲学思想のコーナーに、わたしのコーナーが出来、自書がずらりと並ぶようになった。
 2 上京には、もうひとつの目的があった。半年ぶりである。銚子の犬吠埼か、秩父か、どちらかに電車で行く、である。この半年、ほとんど家から出ていなかったので、歩きたい、という反動もあった。
 26日は、文芸社の佐々木さんと昼飯を食べた。加藤唐九郎の「陶壁」があるという「安芸路酔心・西新橋店」で牡蛎等を堪能した。酒は「酔心」である。広島にも銘酒がある。ホテルにも近い。ホテルにチェックイン後、銀座に出て、何か歩きたくなって、熱い風にあぶられながら、何軒が入ったようだが、美味い物にはありつけなかった。
 27日、勇躍、秩父をめざした。池袋までは地下鉄、東武鉄道まず小川町、次いで寄居、それから三峰口へ、3時間余かかった。とてつもない旧式旅だ。夜の会があるから、トンボ帰り、こんどは西武鉄道の特急に乗って一気に池袋まで、1時間余だ。とにもかくにも、都会とど田舎の間を走る、わたしにはなじみの電車旅を堪能した。そういえば、水も食事もしなかった。東京で仕事をするなら、秩父もありかなと思えたことがあったが、ここは伊賀より不便だ。そう実感。
 26、27の両日、銀座の「バー・ブック」に足を止めたが、酔っていたのか、ほとんど呑まずに帰った(ようだ)。
 3 28日は銚子までゆこうと思った。飛行機は5時発だ。しかし、早くホテルを出たのはいいが、浜松町で、犬吠埼までバスで行こうと思い、出発時刻を確認したが、帰りの便がわからない。案内のシャッターが閉まっている。誰に聞いても要領を得ない。(計画通り電車で行ったら問題はなかったが、一度頭に浮かんだら、ネジを戻すのが難しい。老朽化の証だ。)
 仕方ない。国際貿易センタービルの文教堂に入った。これから7時間、読む本を探すためだ。哲学コーナーに、珍しや『日本人の哲学』が1~3まで並んでいる。壮観だ。5があればベターなのに、などと思うのが貧乏性なのか、物書きの性というものなのか? これは杉山さんに頼むしかないかな。
 結局、渡部昇一『知的読書の技術』(ビジネス社 2016.9.2)を買った。新刊だと思ったが、再刊・改題本だ。飛行場で読み切った。渡部さんの本は、みんな明快で面白い。ためになる。題名も、内容も、わたしが書いてもおかしくない本だ。副題が「本を読まないとバカになる!」だ。ただし、この人、段違いに頭がいい。勘がいい。いい振りをしない。100坪の書庫を新築したと書いているが、自慢じゃない。自分の買いためた本を、まとめて並べて見て(本に囲まれて)死にたい、という「書痴」願望の表れなのだ。正直である。これはわたしとは違う。
 ただし、司馬さんが創作力を弱めたので、「歴史」にもたれて書いた、という箇所はいただけない。歴史マニア、三国志が好きな先生とも思えない。そうそう、司馬さんは、頼山陽などとはまったくちがったコースを選んで書いた、とわたしには思える。