読書日々 798

◆161007 読書日々 798
自分史(自伝)は「決算書」でありたい
 いつもは20度以上ある居間の室温が、16度になっている。ま、これがこの季節の常温か。最近、通販で、デジタルの日めくりカレンダーを購入した。わたしの家にもはじめて正確無比(?)な時計がやってきた。ところがこれを壁にかけると、時刻の文字が見えない。視力が落ちたのか、メガネのせいか、そのいずれもの因で、TV前の長卓の上に置くことにした。ところで、正確ということは「安心」をもたらすが、なぜか妙味に欠ける。
 1 4日、道新ホールで、uhb大学(カルチャースクール)の講演をした。「読書で豊かな時間」というテーマだ。ぺらぺらしゃべることが出来た。石原慎太郎のようにつまらなかった。それだけでもよしとしなければならないだろう。
 開始前、北大前学長の小林さんが控え室に訪ねてきた。医者だ。終了後、郷里の厚別旭町の浜さんが訪れた。わたしより信濃小学校で一年先輩ということだが、もちろん記憶にあった。子や孫のために、自分史を書く準備をしているとのことで、拙著『まず「書いてみる」生活』(文芸社文庫)を購入してくれたそうだ。ありがたい。この本、自費出版を社業の中心としてきた文芸社の説明会等で、参加者に配布している(と広告に載っていた)。それにしては、はけていないな。
 2 10/2 「きらく」の常連客であった大宮さんが、訪ねてきた。妹と一緒で、書庫を観たいという。東京に転勤して数年になるが、年末の「きらく忘年会」ではお会いする大宮さんだが、「札幌マラソン」に参加し、21キロを走ったとのこと。もう60近いにのに、すごいというか、無謀というか、わたしとは違う。
 わたしはついに、谷沢先生の書庫も、渡部昇一さんの新・旧書庫も、梅棹忠夫さんの書庫も、足を踏み入れたことはなかった。理由は2つある。
 1、羨望というか、怨望で目がくらんでしまうに違いない。諭吉のいうように「怨望」は心を「窮」にする。諸悪、諸不幸の因だ。わたしが独立の書庫をもったのは、1970年代、わたしが30代の後半だ。これは3坪にすぎないが、妹の設計になる、船大工修行の若者二人が、腕によりを掛けて作ってくれた。三重短期大の同僚、佐武先生の紹介によった。2階は書斎で、ここでわたしの著述生活が本格始動することが出来た。もちろんクーラーが入っていた。
 2、書庫にある本は、それを用いる人の知的集積物、ガラクタも含めた「宝庫」である。他人の家に進入るのと同じだ。わたしは、たいした本を持っていない。だがこの書庫がなければ、わたしの仕事はないし、わたしというものがない。そう思ってきた。子どもにも、孫にも、闖入を許していない。妻もときどきはいるが、本を触ることがない、と思う。自由に出入りするのは、10年間助手をしていた井上さんだけだ。いまもときに整理に来て貰うことがある。大げさにいえば、蔵書に触れられることは、わたしの体に触れられることに等しい。そう思っている。
 3 いよいよ、『日本人の哲学』全10部の最終部8「人生の哲学」に入った。序は、ヒュームの「自伝」を取り上げる。ごく短いものだが、死の直前に書いたこの短い「マイ・オウン・ライフ」が、ヒューム評価の大暴落をもたらし原因になった。なぜか。ここで、ヒュームは、自分は名流の出でありながら、苦学を余儀なくされ、生活を切り詰めながら自分の哲学原理を著述したが、まったく評価されなかった。マナーを改め、各論を独立の書として発刊し、しだいに売れるようになり、収入も地位も、インデペンデントになっていった。『英国史』では押しも押されもしない成功を得た。こういう、金と成功の防備録のような記述なのだ。野心(名誉欲と金銭欲)に目がくらんで生きたヒューム、という評価が生まれたのだ。
 20代のはじめに、この「自伝」と出会った。演習ではヒュームの本に各種接した。しかし、この「自伝」がもつ人生上(ハウ・ツ・ライフ)の意義を、解き明かす記述に出会わなかった。始めて出会ったのが、渡部昇一「不確実性時代の哲学~デビッド・ヒューム再評価~」(諸君! 1979/1:このコピイが残っている 『新常識主義のすすめ』文藝春秋 1981 所収)であった。渡部先生の著作を、『英文学史』や『英国学史』を含めて購入し、読むきっかけとなった。わたしも、出来たら、人生の最後に、ヒュームような自伝の形を借りた「決算」書を書いてみたいな。