◆161223 読書日々 809
想えばつらい1年であった。
今年もあと残すところ1週間余り。20日、書評の仕事を終え、残るのは、『日本人の哲学4』、「6自然・7技術・8人生の哲学」(800枚)の再校のみとなった。ゲラがついさっき届き、気持ちが若干萎えている。
まだ時間が残っているので、反省納めというわけではないが、実感としては「つらい」(hard)1年であった。気ままな読書はほとんどなかったような気がする。
1 司馬遼太郎は、最も気合いの入った連載は、記者時代を過ごした産経新聞でやった。こう指摘したのは、谷沢先生で、『菜の花の沖』は、後半がどんどん「ロシア」にのめり込み、編集者を切歯扼腕(made himself blood boil)させた。司馬の代表作、『竜馬がゆく』『坂の上の雲』も産経が掲載紙だ。谷沢先生自身は、最も自由に書けるところはPHP研究所だといって、PHPを大事にしていた。最後のコラム「巻末御免」もPHPの『Voice』であった。
2 わたしの仕事は、ほとんどが文字通り「書き下ろし」だった。書かれたもの(文献)を材料にした。書物を読む時間をひたすら求めざるをえなかった。ずっと田舎に住み続けたため、その場限りの修羅場を生きる雑誌編集者と直接会って、ということが少なかったせいもある。それでも『東京新聞』の「大波小波」(3年)や『日刊スポーツ』(さっぽろ版)のコラム長期(10年)連載をはじめとする新聞紙上で、連載はいくつかあった。これはほとんど切れ目なかったから、時局からも材料を必要とした。
3 天下に何人といない読書家が、三〇代の半ばから師匠になった。注文あれば、どんなテーマでも書いた。書けないと思えるテーマにむしろドライブがかかることもあった。が、書きたいテーマを書かせてくれる編集者に出会うことが出来た。三一の林、潮の背戸、PHPの阿達さんの面々である。多少に関わらずマルクス主義の尻尾をつけた作品、昭和思想史60年や吉本隆明論、それに天皇論を書いて、はじめて自分の立ち位置が変わらないものになりえたと思えた。ときに、資本主義は消費中心社会に入っていて、マルクス・レーニン流社会主義論の可能性が消えていた。
じゃあ、わたしにとっては膨大と思える二〇代から三〇代の全部を通じて読んで学んだマルクス主義が、ムダで不毛だったかというと、そんなことはない。なによりも、マルクス主義社会主義の幻想から免れることが出来た。それらしいことをいっている内田樹とか佐藤優とかと自分をはっきり区別することが出来た。養老孟司や伊谷純一郎、さらには坂本賢三や南部陽一郎に親和することが出来た。幸いなるかだ。
4 若き谷沢先生の師匠は、独立コミュニスト藤本進治であった。わたしも少なからず影響を受けた論者だ。もう晩年(07年)に近かった谷沢先生から、藤本哲学論の概要を書いて欲しいと頼まれた。藤本の本は揃っている。内容はかなり厳しくなった。070828にお送りしたが、先生からは返事がなかった。(藤本論は、すでに「読書日々」070907に収録した。)
先生は「哲学」無用・害悪論者だった。わたしの前でもときに高言したが、哲学「史」は否定していなかったと思う。わたしが先生に追随する根本だ。
5 「三宅雪嶺 異例の哲学」は未完だ。哲学徒弟(哲学専攻から研究助手)の時代から、主著『宇宙』までは書かれてある。100枚余になる。まだまだ先が長いが、体力が余っていれば、書けそうな気がする。それに『日本人の哲学』でも4回登場している。
最新の地球学、丸山茂徳のプルームテクトニクス論の地球・宇宙論は、三宅雪嶺の「宇宙」論に接合する。三宅は、原生界と福生界は連続しており、「宇宙」を原生界「優位」の下に解明してゆこうとする。宇宙=原生界の一コマとして地球はあるからだ。まだまだ、日本人の哲学は終わっていないようだ。