読書日々 846

170908 読書日々 846
中断した仕事を再開するのは、難しい
 最上と思えるようなおだやかな過ごしやすい日々が続く。暑くもなく寒くもない。異常気象とは、このことではないだろうか。今週は月から今日まで厚別。
 昨年の今頃も一人暮らしを余儀なくされたが、やるべき課題に追い詰められたのか、体調は最悪だった。不調バロメータである、皮膚炎が各所に出た。(まだ完全に消えていない。)それに、夏、書き下ろしの仕事を引き受けたはいいが、編集者があまりに若く(グリーン)、何度か注文に応じて書き直したが、最後はこちらから断った。これで1月あまりを浪費し、本は出ず、徒労(?)に終わった。ま、原稿(仕事)は残ったが。
 1 昨年に比べ、今年は気分がいい。体調もまずまずだ。酒も飲める。ま、気ままにやっている。といっても仕事はしている。
 8月、「大学教授になる方法」の最終版を脱稿した。少しうまく書けたのではないだろうか? それに、幸運なことに、注文仕事が、いいインタバルで入る。忘れられていない、というのは、励みになる。特に老人にとってはだ。
 電話嫌いである。日中、仕事中に入ると、切れるというか、ほとんどは放っておくことになる。それでも、思考は寸断される。昨日からなんども電話が鳴った。それもコールが異常に長い。放っておいた。ところが今日も早朝から鳴る。はじめて番号を見、手帳で探すと、出版社の社長からだ。こういう失敗も何度かあったに違いない。電話、恐るべし、電話で仕事がやってくる。電話で仕事を失う。
 それで、新しい仕事が入った。新しい編集者ともメールが繋がった。楽しみだ。
 2 福沢諭吉の事件簿。2巻まで書いた。800枚だ。ただ『日本人の哲学』で追い込まれ、余儀なく、長いあいだ放っておいた。3巻の全6章分は、見出しも書くべき内容も決まっていた。ところが、肝心の1・2巻の展開具合が頭から消えているのだ。やっかいだ。一たん放擲した形になった仕事を、淡々と書き続けることが難しい。書き出せない。これをいやというほど知っている。それで、余儀なく、1・2巻を読み直すことからはじめた。脳が硬直化したのか、スムーズに働かない。
 はっきりいうと、作品のエレメントもエーテルも、雲散霧消した感じなのだ。というか、諭吉像ははっきりとわたしのなかに固まっているが、中年以降、その像を内側から崩していこうとする諭吉自身のエネルギーのありどころが、すっと入ってこない。諭吉を取り巻く群像の揺れと関係するが、「事件簿」である。登場人物等、省略をいとわないと、進めない。
 ま、わたしの脳が硬直化したこととも関係あるに違いない。『日本人の哲学』で、論理脳を酷使(?!)したせいじゃあるまいが。
 3 エラリ・クイーン『ローマ帽子の謎』を楽しんだ。作者が出した「犯人」指名クイズも、何とか当てることができた。ま、この人しかいない、という消去法だ。
 ただし、鮎川の本格ものを読んでいるときと同じように、犯人が別人で、別なやり方で殺人を実行することも可能なのではないか、そのほうが面白いのではないか、と思うのだ。強く思えたのは、『戌神はなにを見たか』で、犯人を別人に設定すれば、もっと奥行きのある作品になったのでは、と思える。『ローマ帽子の謎』はよくよく推量したわけではないが、犯人も犯行も、よくあるパターンに思え、何だ、とついいいたくなる。
 今週は、鮎川の三番館シリーズ、『サムソンの犯罪』と『ブロンズの使者』を読んだ。一見、しがないというより、しょうもない元刑事の私立探偵ものだ。短編集というより、70枚前後の中編集というべき5シリーズもので、鮎川作品群のなかで、エンタティメントとしても、一種独特の位置を占めているように思える。おすすめする。