◆181116 読書日々 908
諭吉の事件簿が、動き出したよ
寒いといえば寒い。暖かいといえば、まだ氷点下の日がないのだから、そうか、と思える。雪が降らないのは、タイヤ交換した妻の運転にとってはとてもいいが、忘年会シーズンが近づいている時期のことだ。なにかもの足りない。こうやってグチャグチャいっているうちに、時が過ぎる。年齢のせいでもあるね。
1 ひさしぶりに拙著翻訳の話がきた。ベトナム語に翻訳するということで、『すぐに使える!哲学』(PHP 2003)である。これまでも、韓国(ハングル)、中華人民共和国(チャイニーズ)、中華民国(チャイニーズ)語に、12冊ほど翻訳されてきたが、ベトナム語ははじめてだ。幸運に違いない。
印税が入るといえば、おお、と思われる方がいるかもしれない。しかしどの本も、初版・僅少部数で終わりである。(実態は不明だ。)売り上げ部数に応じての印税(7%)-「契約(着手)金÷2(出版社・代理店と折半)」で、ほとんどは初版部数(1000~2000部)の7%といえば聞こえはいいが、着手金・著者取り分の半額で終わってきた。今回は32000円だそう。けっして0.32百万円ではない。
たしかに、どんなに少部数でも、外国の人に読んでもらえるのはありがたい。物書きとして幸運の部類に入るといっていい。文句など口が裂けてもいえない。だがススキノで1回飲んで終わり、というのだから、物書きとしては情けない(気もする)。
2 ただ『福沢諭吉の事件簿』が動き出した。「札幌の金玉均」(20枚)を終え、いよいよⅢ部2章の「脱亜論」の核心に入る。
「脱亜論」は明治18年(1885)の『時事新報』(3/16)に掲載された社説(無署名)である。
今日、諭吉の代表論説(コラム)のようにみなされているが、戦前に大陸伸張の鼓吹のために「利用」され、戦後は諭吉のアジア切り捨て「拡張」論の根拠とされてきて、一躍注目(批判)を浴びるようになった。
すでに平山洋さんの諸労作(『福沢諭吉』ミネルヴァ書房、『アジア独立論者福沢諭吉』同 等々)が明らかにしているように、諭吉は断じてアジア膨張論者ではない。もちろん「アジア共同体」論者ではない。
ただし諭吉は「一身」+「一国」独立論者だ。ただ清・朝・日の共同によるアジアの西欧からの自立を強く主張した経緯がある。だが自立のために三国共同路線が取れないという現実の前で、日本一国だけででも自立する、(一国従属のもとでも、一身独立を図る)というのが諭吉の路線(マナー)だ。民にあって、官=日本政府と「協調」できた諭吉の「幸運」期であった。
だが「大国」意識の強い清国や、清の属領のように振る舞わなければならない朝(清の皇帝を慮って自国のトップは国王)の事大主義と絶縁しなければ、日本の国家自立(自尊)はあり得ない、というのが、日本が憲法を制定し国会を開設する前後(新独立宣言期)の、諭吉の基本主張である。
ところで、「脱亜論」である。諭吉をいったん離れてみよう。日本は、一度もチャイナ(外国)に征服されたことがない。トップが「天皇」と宣し、唐の「皇帝」に対抗したのが、天智・天武の時代だ。独立といってもいいが、「自立」だ。『日本書紀』は、チャイナからまったく無関係に日本は存立してきた、という日本史で、創世記(神話)と歴史(前近代史と現代史)にはっきり分かれている。
したがって、日本は建国(天智・天武期)以来、「脱亜」、厳密にいえばいちども「入欧」せずに、つねに「脱亜」であったということができる。
なに、島国に閉じこもって250年余「鎖国」を続けてきたじゃないか、というだろう。事実、諭吉は、文明開化の基本は幕府が「開国」政策を進めることだ、と主張する小栗忠順の「開化」論に同調することもあったほどだ。川勝氏(静岡県知事)のように、日本は海洋国家になって、西欧と競い合い(大航海時代)東アジアの海を席巻し、政治・軍事・経済・文化等々で自立できるほどの力を扶養しえたからこそ、「鎖国」できたのだ、と主張することもありなのだ……。
諭吉の文明開化と鎖国を単純な二項対立でとらえては、本筋が失われる。こういいたいわけだ。