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読書日々 1644 真理論  真理とは虚構である

◆240517 読書日々 1644 真理論  真理とは虚構である
 1 夏に突入したように感じられるが、まだガスストーブは付けている。だから、背中が心地よげに暖かい。
 昨日、ようやく新稿『藤原不比等と紫式部 日本国家創建と世界文学の創造』(260枚)を脱稿することが出来た。まず、疲れたー、であり、ほっと、であったが、ホットの気分が今日まで続いたのか、この日記を書くのを、念押しするほど強く、わきまえていたのに、今の今まで失念していた。
 ただし、理由はあった。1つ仕事を終えると、次の仕事に取りかかる、その手初めとして、「レジメ」を書く。だがレジメはすでに出来上がっている。書名も、目次も、章・節立ても、出来上がっている。だから、書きはじめればいいだけの態勢が、もう10年以上続いていたことになる。
 書名は『禁忌の倫理学』で、オーバーにいえば、私しか書かない、書けない代物だ、と考え、何度もレジメをとつおいつ眺めてきたが、書きはじめておらず、いまなお骨組みだけなのだ。
 人間に3大「禁忌」がある。①「殺人」であり、②「近親相姦」であり、③「人肉食」だ。この一線を越えると、「お前は、もう人間ではない!」ということになる。ただし、「3大禁忌」のうち、「殺人」は、「法」の対象になって、「禁忌」から除外された感がある。しかし、『相棒』の杉下右京が、「殺人」を絶対犯してはならない「行為」とみなし、その意見はいまなお強い。
 でも、哲学科に入り、倫理学を専攻し、多少なり、著作を書いてきたが、「タブーの倫理学」は、倫理学最後の課題だと考えている。では、なぜ人を殺しては、近親相姦しては、人肉を喰らっては、いけないのか? これは解明されているようで、解明されてはいない、ということができる。
 この3大禁忌は、なぜ踏み越えてはならないのか? 解答。これ以外・以上にない、人間にとって「最大の快」だからだ。……。ま、しかし、この禁忌論は、「反倫理」の業火をくぐり抜けなければ、如実に書くことは出来ない、そういう類の作業になる。コワイね。

 5 真理論  真理とは虚構である
 「合理主義」(rationalism)という言葉をよく聞くでしょう。「ラチオ」(ratio)とはラテン語で「理性」という意味です。体験、習慣、伝統、教義あるいは世論をもとに真偽を判断しない態度(マナー)のことで、デカルトが合理主義の親玉です。
 スピノザは先輩デカルトの合理精神を受け継ぎました。だがスピノザが行き着いた結論は、一見して意外というか「異例」なものです。どういうことでしょう。
《対象を理解する三種類の認識法がある。一つは感性的認識で、感覚や想像によってえられるものです。これは十全な認識ではない。二つは理性的認識で、理性によってえられるもので、十全な認識です。三つに神の認識で、直観によるものですが、人間には与えられていません。》(神の能力は人間には備わっていません。人間を超えています。)
 感性による認識はなぜ非十全なのでしょう。漠然とした経験や世論、あるいは感官(身体)を通してえられるもので、虚偽の原因となるからです。たとえば、昼間見る海が青いのに、夜見る海が黒いというように、その真偽が確かではありません。
 これに対して、三角形の内角の和は二直角(180度)に等しい、いついかなる時でも、誰にとっても共通な知見で、真です。しかも、真偽を判断する基準(尺度)として有効無比です。これが理性認識です。
 しかし昼見る海が青く、夜見る海が黒いのは、夢や幻なのでしょうか? そんなことはありません。その通り(リアル)に見えます。これとは逆に、内角の和が二直角になるような「三角形」は現実(リアル)に存在するでしょうか? どんなに正確に直線を引こうとしても、現実の直線は必ず歪んでいます。真の「三角形」は観念上のもので、抽象物、つまりは虚構(フィクション=こしらえもの)です。
 ここから重要なことが出てきます。
 一つ。人間は身体をもった存在です。人間を現実に動かすのはこの身体(感覚器官)に基礎を持つ感情です。個人だけでなく社会(人間の集団)を動かすのは大衆の感情、共通の体験、世論、習俗であり、伝統です。どんなに素晴らしいプランや理念(アイディア)であっても、人の、多数の人=大衆の感情に訴えなければ、机上のプランにすぎません。
 二つ。多数の感情はしばしば付和雷同し、暴走します。その前では、正義や法や理念が消し飛ばされます。では理性は無力なのでしょうか? そんなことはありません。理性の力はこの集団感情が行き着く方向を示したり、対立する感情があることを提示できます。
 たとえばEUのように、アジアはアジア人で、近隣諸国が共同して、という「東アジア共同体」論があります。多くの日本人の感情を捉えているだけではありません。新登場の福田首相も「東アジア共同体」を外交路線としてキャッチアップしていますね。しかし、不毛悲惨な日米開戦に導いたのが、日本国民の感情をひっさらった「東亜共同体」論ではなかったでしょうか? 「東亜」とは「東アジア」のことです。
 スピノザは理性人です。ユダヤ人として生まれましたが、ユダヤ教(ユダヤ人の共同感情)を批判し、進んでキリスト教(西欧人の共同感情)を批判します。そして主著『神学・政治論』の序文に《民衆から迷信を取り去ることは、恐怖を取り去ることと同じく、不可能である。……民衆は理性によって動かされるのではなく激情によって動かされるからだ。……したがってこの本を感情に囚われている人すべてに読んでもらいたくない。》と書きます。
 「大衆の敵」として書くのは普通の理性人です。でもスピノザは大衆(大衆の自己統治=デモクラシー)の勝利のためにこそ書くのです。「異例」の哲人といわれるゆえんです。

読書日々 1663 発展論  矛盾こそ発展の根拠である 

◆240510 読書日々 1663 発展論  矛盾こそ発展の根拠である
 なんとか、「藤原不比等と紫式部 日本創建と世界文学成立」に目途をつけることが出来た。
 なにせ、不比等の前半生は、「陰」のごとく、後半生は「光」のごとしなのだ。その「道」が開けたのは、天武の死後、持統「称制」時代に入ってからだ。持統天皇「誕生」の図を描き、「日本紀」を編纂、大宝・養老律令を編纂・施行、首都平城遷都を実現し、藤原政権樹立の礎石をうち固めた。
 特に注目すべきは、地方各地から参集した官吏とその一門(およし10万人を超える)が使う「共通語」の出現だろう。日本人としての連帯意識が生れる現実基盤であったに違いない。
 そして、不比等の掌中の珠ともいうべき娘(非皇種)の光明子は、幾多の「反対」を押し切って、皇太子「妃」に、そして「皇后」から「皇太后」に転じてからは、周の皇帝=武后さながらに「権力」を「私」したが、皇統に混乱と皇統断絶の危機を招くに終わった。だが歴史は皮肉なものだ。
 この争乱の経験あればこそ、「統治しても支配せず」という皇室伝統が「盤石」のものになった、ということもできる。
 つまり不比等の「試行錯誤」があればこそ、チャイナの「覇道」とは異なる、「統治」=「象徴天皇」制という、日本独特の政治・支配形態が出来あがっていったのだ。
 「源氏物語」は、「世界文学」の始まりを告げる作品だ。シェークスピアでもなく、もちろんバルザックやゲーテでもない。その作者紫式部は、「日本紀」などなんぼのモノでもない、と断じ、世界初めての「小説」を、それも大長編を書いた。その結構はどのようなものであったのか、これを明らかにしたい。時あたかも、「光る君へ」がNHKの大河ドラマで放映されている。面白い、というか、面白すぎる。……源氏は、モデルありの小説で、したがって時代小説である。尤も、勝っても現在も、「時代小説」というのは、材は過去にとっているが、「現代小説」である。だから、「痛切」であり、血も涙も出る。
△4 発展論  矛盾こそ発展の根拠である
 日本は、建国以来、停滞はあったものの、右肩上がりに成長を遂げてきた。また国内が融和的で、国を滅ぼすような対立がなかった。「成長と融和」、これが日本の特長である。日本人として生まれた幸運である。こういって間違いがないだろう。
 じゃあ日本は矛盾や対立のない微温的国なのか? そんなことはない。日本はなんども国家存亡の危機を迎えた。六五年前には大敗戦も経験した。だがみごとに復活をとげた。近くはオイルショックやバブルの崩壊があった。しかしそのつど乗りこえることができた。正確にいえば、むしろ困難や危機を奇貨とし、新しい成長のスプリングボード(飛躍台)としてきた。日本こそヘーゲル哲学を体現する典型国のように思える。
 《矛盾は発展の推進力である。》これを思考の中心において自然と人間と人間社会の全現象を解き明かそうとしたのがヘーゲルで、史上ナンバー1の哲学者である。
 アダム・スミスは、《私益の追求が結果として公益を拡大する(=国富をもたらす)。》と、レッセフェール(自由放任経済)を説いた。ヘーゲルは、この自由経済体制を豊かな富をもたらす「欲望の体系」とみなし、高く評価する。同時に、この欲望の体系を「調和社会」だとするスミスの考えを批判する。
 《私益の飽くなき追求(=利得の獲得をめぐる無制約な競争)が、社会に、一握りの富裕層=有産者と圧倒的多数の貧困層=無産者とを生みだし、その両者の間に和解不能な対立を生みださざるをえない。》こういうのだ。私益追求の資本主義=自由市場経済の階級矛盾・対立を説き、その矛盾を解消するために「革命」を訴えたマルクスの先取りである。
 エッ、矛盾はあってはならない。矛盾のないこと、安心と平和が素晴らしいことじゃないか。こういわれるだろうか? だが現実には、安心と不安、平和と戦争はまったく別に存在するのではない。表裏一体に同在するのだ。ヘーゲルのいうように、《矛盾とは対立物の同一である。》
 ヘーゲルは《矛盾と対立(=困難と危機)の解決は、「矛盾する現実」それ自体のなかに見いだすことができる(=に内在している)。》という。
 たとえばオイルショックだ。石油資源がない日本にとって、石油価格の高騰は致命的である。省エネがなければ経済停滞と破壊に直結する。生産と消費の全部門で省エネ技術の開発が至上命令となる。対して産油国のアメリカは省エネを必須と感じなかった。省エネ革新をはからなかった。オイルショック後の80年代、日米に経済格差が生まれた原因だ。その後、社会主義の崩壊で新しい現実=矛盾が生まれ、その現実に対応しなかった日本が窮地に追い込まれる。
 矛盾は解決を迫る。ヘーゲルの思考は《解決できない矛盾はない。》と断じる。だがどんな解決もある特定の解決であり、その内部に新しい矛盾を含む。最初は萌芽的だがいずれ解決を迫まるものに拡大する。逆に、《矛盾がないところに成長はない。》正確にいえば、《矛盾のないものとは死んだものだ。ものの停滞や死は、その内部に矛盾と矛盾の解決を見いだそうとしない、現状に満足している怠慢な精神が生みだす。》これを逆にいえば、《危機(=矛盾の解決が迫られている常態)こそ飛躍のチャンス》でもあるということだ。
 *難解でなるヘーゲルの主要著作は長谷川宏の新訳で容易に近づくことができるようになりました。私の『ヘーゲルを活用する!』(言視舎)は経営者のかたにぜひにも読んでほしい一冊です。

読書日々 1642 愛他論  パウロは最新ビジネスの行動原理の発案者でもある 

◆240503 読書日々 1642 愛他論  パウロは最新ビジネスの行動原理の発案者でもある
 連休に入っている。好天が続く。気分はいいし、「仕事」も捗る(?)。ただし、トレースすると、二重手間をしているケースが目立つ。錯誤というよりも、繰り返しのようなケースを見いだしては、げんなりする。頭がクリアーでなくなっているせいに違いないが、自動調整機がないのだから、困ったなで、「訂正」するしかない。
 昼前にノルマを終え、昼はゆったり、夜はTV、と一応時間配分をしているが、何か融通が利かないというか、時間感覚も麻痺しているのか、あっというまに、今日もすでに2時近くになっている。
 1 歴史には、大失敗があって、はじめて、正気に戻る、という事例に満ちている。これは個人の歴史にも当てはまる。ただし、個人史では、大失敗と思えるようなことは、のちのち「好機」の因になるというようなことが起こる。
 伊藤博文は、吉田松陰の塾生の一人だった。先生から、「俊輔」という名さえ貰った。ただし、高杉の下僕のような身分に甘んじていた時期で、それゆえもあって、高杉の信奉する松蔭を仰ぎ見ていた。しかし、のちのち、長州出身者が松蔭の弟子であることを自慢げに口にするのに対して、伊藤は塾生であった、とさえ口にしなかったそうだ。理由は、松蔭が伊藤に「俊輔」という名を与えながら、「周旋屋」とみなしていることを知ってしまったからだった。周旋屋は信用してはいけない、というのが松蔭の見識なら、自分も松蔭の弟子ではない、としたのだ。
 2 伊藤は、韓国統監のとき、軍の韓国併合主張に反対した。だが日本政府は併合を「決定」したため、伊藤は統監を辞任する。直後、伊藤暗殺が起り、日本は大元勲暗殺を理由に、併合を強行した。
 もちろん、併合にもいろいろある。米国のハワイ併合(征服)と小笠原併合のケースは違う。その小笠原が米領から日本領となったケースともちがう。伊藤が韓国と日本の歴史を比較検討して、「併合」は無理だ、無益だ、と見なした。わたしは、伊藤の見識を是とする。長州の松蔭もその弟子たちも、朝鮮「侵略」を主張していたのとは、真逆に思える。
3 愛他論  パウロは最新ビジネスの行動原理の発案者でもある
 ビジネスは競争だ。食うか食われるかである。そうじゃない。互譲なのだ。ギブ・アンド・テイクである。こういわれる。しかし実際は、経済学の父アダム・スミスが言うように、競争と互譲はたんに対立する別物ではない。自利と他利が競いつつ協調し合ってこそビジネスがスムーズに進行しかつ活況を呈する。だから、昨今の自利を計るばかりで、他利を省みない超ビジネスが簡単に馬脚を現し、蹉跌を踏むのは自然のなりゆきである。ここで自利=自愛、他利=愛他とおきかえても同じである。
 では自愛=自利のみはもとより、「愛他」=他利のみの思想はビジネスにとって有害あるいは無益であろうか。これを考えてみよう。
 「愛他」を徹底的に説いたのはイエスである。その「愛他」の教えを特記し、説き広めたのはパウロである。キリスト教の中心思想はパウロによって確定された、といってもいい。ところがこのパウロ、なかなかに複雑なのだ。
 パウロはユダヤ教徒で、はじめはイエスとその信徒を弾圧することに熱心だった。ところがその弾圧の旅の最中に、イエスが「現れ」、聖霊に満たされて、覚醒し、回心を果たし、イエスの教えの熱心な伝道者になった。かくしてパウロは、イエスの信徒からは変心者と疑われ、ユダヤ教徒からは裏切り者とされ、信用をえることができず、孤立する。このパウロの「弱い」立場が「愛他」を徹底的に説く動機にもなったといっていい。
=愛は忍耐強い。情け深い。妬まない。自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自利を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義ではなく真実を喜ぶ。すべてを忍び、信じ、望み、耐える。=
 ここで重要なのは、愛は心の問題ではなく「行動」であり、行動だからこそ私たちはみな間違える、この間違いを許すことからはじめよう、ということだ。寛容である。
 では「寛容」とはパウロにおいて具体的にどのようなことなのか。
=私は、誰に対しても自由な者だが、すべての人の奴隷になった。できるだけ多くの人をえるためである。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人をえるためである。……弱い人に対しては、弱い人のようになった。弱い人をえるためにである。すべての人に対してすべてのものになった。何とかして何人かでも救うためである。=
 このような「寛容」はまたもや「迎合」であると非を鳴らされた。しかし、パウロは「君たちは間違っている」とはいわない。イエスの信仰を広め、救済をもたらすためだ。
 この「自由だが奴隷になる」=「愛他」というパウロの行動原理は、最新のビジネスにこそぴったり当てはまるではないだろうか。
 商品に、取引にクレームが付く。たった一台の、たった一箇所の欠陥や過誤かもしれない。しかし消費者からのクレームなのだ。消費者の信用を確たるものにするチャンスが与えられたのだ。まずは消費者の「奴隷」になり、全商品、全取引を点検し直す。
 「愛他」によってパウロはイエスの信徒やユダヤ教徒ばかりか、ついにはローマ人の心もつかむ。ここにキリスト教団の礎石が置かれたのだ。

読書日々 1641 「近道を行け」(マルクス・アウレリウス」 

◆240426 読書日々 1641 「近道を行け」(マルクス・アウレリウス」
 1 ドコモからメールがあり、私の携帯機(ガラ系)は、…(電波関連?)で使用不能になる、よろしく、機種変更に来られたし、というものだった。
 16年前も、同様なことを言われたが、そのときは、いずれあなたの機種は使用不能になるから、スマホに変更しては、といわれた。妻は、そうしたが、私はガラ系で一向にかまわない、というより、「通信」はパソコンで、電話を携帯で、ということだった。新機種も、ガラ系に違いないが、わたしが使用してきた機種とは、「方式」(?)が違う、ということ(?)
 新さっぽろのど真ん中にあるこの店は、空いているのに、時間がかかる。あれこれ「助言」(?)してくれるが、「電話」機能しか使用しなくなった私には、どうでもよい。それに、肝心要の要望は、まったくスルーしている。ま、新機種機代を徴収され、使い慣れない携帯をもった、ということだ。この間、2時間。ま、16年前のガラ系機種使用に驚ろかれ、あれこれ、聞かれたが、少しでも売り上げをアップする当然の「サービス」に終始。隣にスマホ妻が居なかったら、途中で、まいいか、で店を出てきたに違いない。(結果は、電話使用機オンリーになったはずだが?!)
 2 今日は、朝から特別に暖かい。予報では、20度を超すそうだから、真夏日だろう。ま、ようやく「冬」からの脱却である。そして、第一部をようやく終え、「藤原不比等と紫式部  一周した天皇制から世界文学の世界へ」と書題を定め、いよいよ『源氏物語』の世界へ入ってゆく。
 ま、などと大袈裟なことを言っているようだが、実に「大げさ=大雑把」なのだ。ただし、哲学では、「大づかみ」とか、「大局で」とかは、最重要のマナーである。私は、年表を見るのが好きで、近眼鏡ではもはやぼやけてきたから、裸眼で、年表をね(睨)め回している。年表では、諸研究書に付随し、各所に散らばっているている年表が、貴重だ。年表こそ「大局観」なのだ。
 哲学は哲学史だ、と喝破したのがヘーゲルで、同時代のカントやフィヒテ、シェリングと異なるマナー=歴史眼だった。「年表」を作成し、「歴史経緯」と「論理展開」との「異と同」をたどる道を進むのが、とても気分にかなっている。ま、話半分に聞いて欲しいが。
….2 社長の哲学 2 哲人トップ  皇帝アウレリウスの「自省」は自己叱咤だ
 「松下幸之助は思想家か?」という質問を受けたことがある。松下関係者からだ。広い意味の哲人(フィロソファー)といっていい、というのが私の答えであった。苦し紛れの応答ではない。
 哲学を研究した者を総じて「哲学者」(フィロソファー)という。これと区別して、哲学的思考に慣れ親しんだ人を「哲人」といってみたい。松下さんは哲・学者ではないが、哲・人、つまりは賢人である。
 それですぐに思い起こされるのは、ローマ帝国の皇帝で哲人であったマルクス・アウレリウス(在位161~180年)である。マルクスは、哲学書といわれる『自省録』(精神)と至上の傑作といわれる騎馬像(肉体)を残したことで、後世、ローマ帝国の統治者中もっとも高い評価を受けてきた、カエサル(シーザー)よりもだ、と評判の『ローマ人の物語』で塩野七生は書いている。
 マルクスは若いときから哲学書に親しむ、内省的な人間であった。彼が病弱であったこともその傾向を強めた。しかし、皇帝としては、保守的ではあったが、軟弱ではなかった。むしろ敵味方の双方に対して、果断であった。さらに激務のなかで、彼は自分の生きざまを内省=反省することをやめなかった。
 「世俗のなかで右往左往するな。仕事にかまけて人生に倦んで、心の内から目標を失うことこそ、愚か者に他ならない。」
 仕事人間になるな、といっているのではない。およそ逆だ。ローマ帝国の皇帝はまずは軍のトップであり、戦の明け暮れの毎日である。だがどんな激務のなかでも、いな激務のなかでこそ、目標を片時もはなさず生きよ、と他人ではなく自分に、くりかえし言い聞かせる。
 ところで、ここで「人生の目標」とは何か?
「自分に与えられた仕事をくもりのない明晰な品位と親愛をもって、また、自由な精神と正義とをもっておこない、それ以外のすべての想念からは離れて、自己に安息を与えることである。」
 与えられた仕事を、自分の心に恥じることがないように、遂行する。専一このことにつとめ、外部の諸々に一喜一憂することを避け、自分の心を安らかに保つようにせよ。こうマルクスは言う。仕事を、自他共に恥じることのない仕事を愛しなさい、どんな激動の中でも、自分の心の平和を保つようにしなさい、というわけだ。
 言うは易く、行うは難しだ。だが、この困難をマルクスは自分に課す。与えられた仕事が、至難中の至難である「皇帝」だからだ。マルクスは「生き急げ!」とさえ自分に言い聞かす。自己叱咤である。
 「つねに近道を駈け行け。近道こそは自然に適った道である。幾多の苦難、戦役、陰謀と虚飾から、人を解放する道だ。」
 皇帝アウレリウスは書を残して、哲人の列に入れられた。松下幸之助も人生の書を残した。二人とも近道を行く果断な仕事人であり、哲人である。

読書日々 1640 モンテーニュの流儀(1) 

◆240419 読書日々 1640 モンテーニュの流儀(1)
 暖かい。アンカもついに外した。それでもまだまだ季節の変わり目である。
 1 それにしても、藤原不比等の娘、片や文武天皇夫人となった宮子(不比等娘)と、この二人のあいだに生れた聖武天皇(←首皇太子)と光明子(非皇種ではじめての皇后)の娘(阿部内親王=皇太子→孝謙・称徳天皇)の2代にわたる「混乱」と「乱脈」ぶりは、日本史のなかで特記すべき事柄に思える。
 光明子(皇后)は聖武をスポイルし、娘孝謙・称徳を出口のない溝に閉じ込め、自らは、やりたい放題、(唐→)「周」王朝を建て、則天武后と名のり、盛名=虚名を轟かせ女帝になりたかったのでは、と思える。
 光明子は「天皇政治」(その理念は「統治すれども支配せず」)とは異なる、則天武后の模倣政治を断行しようとし、娘に替わって、あるいは娘をコントロール下に置き、どうも自ら天皇位に就こうとしたのではなかろうか、と思いたくなるような逸脱を敢えてしたように思える。しかもこの人、「反省心」の欠片もないようなのである。
 ま、こういう「混乱」と「閉塞」があって、1000年ちかくにわたる「女帝」の時代がなかった、ともいえる。直近では、平安遷都以降、王朝政治と文化、文学が隆盛したともいえる。
 不比等は、日本史を編纂し、律令を整備し、「皇統」とその「継承」の筋道を示し、「国語」(日本語)確立を準備し、「都」(平城京)を建設した。その功績をいくら高く見積もってもかまわないが、その末期、「光明子の乱」と呼びにふさわしい、混乱の「因」をつくる役割を演じたことも忘れない方がいい。
…1 社長の哲学
 *『日経BP マンスリー』(07/4-09/3)連載
1 読書論  モンテーニュの流儀
 過日、新入社員を前にして「本を読みなさい。バーチャルでは現実感覚をどんどん失ってゆく。デジタルではなく、活字が重要だ」と力説する人たちの番組を見る機会があった。週に何度もTVのニュースショウに出演するような人ばかりである。ただし、だれ一人よく本を読んでいるようには思えなかった。
 「本を、それも本格的な書物を読みなさい」という人の言を、あまり信用する必要はない。読書家を恐れる必要はない。第一講目にまずこういおう。
「読書で困難な問題にぶつかったとしても、爪を噛んだりしない。一、二回攻めつけてみるが、放り出しておく。」
 モンテーニュの言葉だ。一六世紀のフランスの人で、ギリシア・ローマ哲学・文学を自家薬籠中のものにして、近代西欧の読者に精力的に解読、紹介した哲学者である。その畢生の名著『エセー』は、たった一冊で古代ギリシア・ローマ思想の概略と細部を味読可能にする、奇蹟のような書物だ。もちろん邦訳も何種類かある。
 モンテーニュは膨大な読書量の人だ。その彼が、難解な箇所にぶつかったら、拘泥せずに、放り出しておくにこしたことはない。固執すればするほど理解不能になるし、楽しい気分でなくなる、というのだ。ただし難解で放ってしまった箇所も、何かの折、判然とするところがある。読書の小さくない醍醐味の一つである。
 モンテーニュはまたいう。「もしその本がつまらなくなれば、私はべつの本をとりあげる。何もすることがなくなったときにだけその本に身を入れる。」
 マルクスの『資本論』を全巻熟読玩味した、という人がいる。たいへんだったろうとは思うが、感心するわけではない。モンテーニューならこの手の本は遠ざけただろうと思う。『資本論』を一〇年間かかって全巻読んだという人にであった。最初読んだ箇所はとうに忘れているだろうな、と思えた。『資本論』は読んで面白い本ではない。難解の連続である。それでも分からないところはどんどん飛ばして、一週間で読んだことがある。全体の雰囲気は分かった。少なくとも分かったつもりになった。これも読書の醍醐味ではないだろうか?
 もっとも、『資本論』を厳密(科学的?)に読んだといわれる宇野弘蔵博士は、「私は全巻を通読したことがない、必要な箇所を必要なとき徹底的に読み込んだにすぎない」というようなことをいった。なるほどと思うところがあった。
 またモンテーニュはいう。「私の役に立っている本は、フランス語に訳されたプルタルコスとセネカだ。これらが二つとも私にとってすばらしく便利だというわけは、私の探す知識が断片の形で扱われているため、私にはとてもできない長い時間の勉強が必要ではないからだ。」
 本読みのなかには「原典」で読めという人がいる。モンテーニュはそれを自分の流儀ではない、という。稚拙な(他国)語学力で読むなんて、時間がかかりすぎて、辛抱できない。有益な部分を集めた「断片」は、とりつくのが簡単だし、好きなときに投げ出してもいい、というのだ。
「私は、学問を使いこなす本を求める。学問を打ちたてる本を求めない。」
 このモンテーニュの言葉は貴重だ。彼はアリストテレスの『形而上学』や(おそらく)ヘーゲルの『論理学』を、学問を打ちたてる本であるという理由から、否定しはしない。しかし、プルタルコスの『対比列伝』(英雄伝)や『倫理論集』、セネカの『書簡』のように、人生に役立つ書物を大事にし、好むのである。これはとても大切な態度だ。
 皮肉屋のモンテーニュである。少しだけ注解を加えれば、断片=短いとは「簡明」なことだ。簡明で楽しく人生に役立つ「文」を読む。モンテーニュから学びたい流儀である。