読書日々 641

◆131011 読書日々 641
このダルマ、こけ方が尋常じゃない
 高橋是清(1854~1936.2.26)は波瀾万丈の人生を送った人のなかでも、その破天荒振りは、一頭地を抜いているといっていいだろう。
 生後まもなく仙台藩は足軽、高橋家の養子となり、藩の選抜によって11歳で横浜居留地でヘボン(ヘップバーン)に英語を習い、67年14歳で留学を目して渡米したが、斡旋人やホーム・スティ先にだまされて「奴隷」の身に落とされ、翌68年末ようやく帰国する。ところが渡米中に知った森有礼にひろわれ、69年大学南校(東大予備門)の「教官」(手伝)となった。何と16歳である。ずっと後のことになるが、たしか漱石や子規、南方熊楠は是清青年(少年?)に大学予備門で英語を教わったのではなかったか。内田春菊画『クマグス』(1 潮出版)にそんな場面が出てきた。英語天才、『熟語本位英和中辞典』斎藤秀三郎の予備門時代も、是清が教えていた時期と重なる。こんなのはいはば序の口、それ以降も驚天動地の人生の連続で、最期は2・26事件で落命する。6度目の大蔵大臣であった。
 幸田真音(まいん 1951~)はおもに経済小説を書いてきた、証券や債券のディーラーの経験豊かな異色の女性作家である。その最近刊『天佑なり』(角川書店 上下 12.6.10)は道新、東京新聞等に連載された長編小説で、高橋是清の一生を、日露戦争の戦費をまかなうために国債発行を成功させたのを皮切りに、日本経済の救世主となった経緯を感動的に描いた作品である。
 175センチ、90キロ強、童顔で、ダルマといわれた是清である。当時としてこの巨躯はどれほど高橋の「天啓」となりえたことか。宮沢喜一が首相経験者なのに、さいごに大蔵大臣に引っ張り出されたとき、「平成の是清」といわれたが、過褒に過ぎる。まったくもってスケールが違うのだ。人間のタイプが、気質が、それに体躯が違う。能力の違いは天地ほどもあったのではと思いたい。
 「全集」をそろえると、何か安心して、よほどのことがないかぎり、読まなくなる。これは本当だ。しかし人生は長い。何かの折にぽつりぽつり取り出して読んでいくと、ほぼ読んでしまう作家がある。なによりもいいのは、「目次」をときどき眺めてしまうことではないだろうか。それが記憶のすみに残っているのか、必要なとき、暗箱のようになった記憶の闇の中から、ぬっとキイワードが姿を現す。岩波講座『日本通史』全21/別巻4(最終巻は「総目次・索引」)はじつに使い勝手が悪く、読みにくい。だが、この別巻4には何かと世話になる機会がある。いつもは置き場所に困り、段ボールに詰められているが、この別巻だけは別である。目次をときどき眺めているだけで、はっと思うような論考(表題だけの場合がほとんどだが)に行き当たる。これは一種のリハリビ効果もある。
 この本で「大童」という名前が出てきて、是清から、大童(おおわら)三太夫(仙台藩江戸留守居役)=主戦派→福沢諭吉→翻訳副業→大童救出→……他人には何のことかわからないが、私自身には、ぱっ、ぱっとインデクスが立ち現れる。
 幸田の経済小説を読む効用の一つは、当時の価格(感覚)がおのずと知らされることである。日露戦争の時、ロンドンに財務官(特任)として派遣された51歳の是清(日銀副総裁)は、ロンドンで500万ポンド、アメリカで1000万ドルの日本国債契約に成功する。戦費の一部(正貨)1億円の調達を実現したのである。「天佑」である。500万ポンド=1000万ドル=1億円がすっと頭に入ってくる。もちろん相手は大国ロシア(国家予算10倍)である。戦費はこれではとうていまかなえない。翌年に再度イギリスに渡り、国債売却に成功し、戦勝の一翼を担って、是清は華族に列せられる。
 などと書くと、この小説、高橋の成功物語のように響くが、内実は、失敗の、それも「軽信」ゆえのとんでもない失敗の連続で、是清の「ダルマ」という異名は、ダルマに似た容貌ということもあったが、起き上がり小法師、七転び八起きの人生であったことを示す。ただし是清には「面壁九年」は似合わないが。