読書日々 677

◆140620 読書日々 677
南部陽一郎級をかじると、とてもそのあとを追おうという気が起こらない

1 6/17 元私設助手で「外」娘の井上美香さんが、「父の日」のプレゼントとして、酒場に招いてくれた。年をとって何がおっくうだって、新しい「店」に行くことである。一昨年には「たぱす」を見つけた。昨年は「武鮨」に入ることができた。70をすぎてからだから一大飛躍のような感じである。34ビルというなじみの店が3軒ある飲食街の6階、「まさき」である。長いカウンターに生鮮を陳列するケースが伸びる、ちょっとモダンな居酒屋である。個室もあるらしい。若い子が出入りしている。茄子の糠漬けとタコ刺しを頼んだが、酒とともにおいしかった。それにゆったりとしている。ちょっとしたお客を連れて行く店がなかったので、早速、再訪したくなる店だ。
 美香さんは、フルタイムの仕事に就いたそうだ。書く仕事とジョブを両立させてゆくのは、誰にとっても易しいものではないが、逆にいうと、励みになる。自分本位の励みは、ハードワークを可能にする。50代に入って、書く方はようやく一人前にも二人前にもなりうるのだ。ま、わたしの経験則だが。
2 東京で共稼ぎに戻った長女夫婦が、銘酒セットのプレゼントをしてくれた。定職を退いて、酒のランクを少し落として2年、ようやく口にあう銘柄にたどり着いたように感じる。というか「酒」ならどんなものでもOKになったのではないだろうか。それぞれうまく、欠点がある。ただし「帯びに長く襷に短し」ではなく、それぞれが長短をもっているということだろう。
3 『定年と幸福ー男の老後力』(文芸社文庫 2012)がらみで、「男の老後力の磨き方」というテーマで書く(6枚)。雑誌『おとなの流儀』(kkベストセラーズ)においてだ。自分の本の宣伝にもなるから、うれしいね。ただし磨きすぎると摩滅する。それが「老後」の定則だろう。上京して4日間、歩いた。まだ歩けるのだが、てきめんというか、左の膝が痛む。
4 高校のとき、理系に行くのか、文系に行くのかで少し迷ったことがあった。国立大学にはいずれも英国数理社の5科目を課す試験があった。地理や歴史が好きだったが数学や物理も嫌いではなかった。だが理系全盛の時代である。優秀なのはほとんど理系に行った。多少とも天邪鬼である。それにクラスに物理と数学がつねに満点という怪物がいた。とても敵わない。それで選択は生物と数学にした。生物と数学のおもしろさはまったく違う。別の世界だ。物理と数学も違う。いってみれば生物も物理も、日本語の世界だ。ところが数学は「国語」を越えてゆく。否、越えなければ数学にならない。幼稚ながらもそんな予感を強くもってしまった。
 英国理社は全部「国語」の世界だ。日本語でやってゆける。というか日本語の錬磨の契機で(も)ある。
 1960年代前後、大学に入ったわたしたちの時代、南部陽一郎(1921~)が素粒子研究(物理学)のスターだった。アインシュタインを超えるのではないかという「世評」もあった。すでにアメリカに留学していたが、この人数学が抜群に出来るそうで、電子計算機が実用化の段階になっていなかった時代である。人間が計算した。南部は、紙の上で演算するのではなく、頭の中で演算するそうで、抜群に速かった。コンピュータになる覚悟がなければ、数学者になるな、物理学でも素粒子論に進むわけにはいかない、こういう強迫観念があった。
 「日本人の哲学6」は「自然の哲学」である。案外簡単に、ずらずらずらとキイ・パーソンの名前が出てきた。いまさら物理の理論を咀嚼するのは無理だとしても、理論の要をnachdenken(追考)してみる楽しみはある。苦楽かな。ニュートリノは小柴、素粒子は南部、というようにたどる楽しみだ。ちなみに数学は「技術の哲学」に入る。
 というわけで、おのずと『日本人の哲学3』がようやく終わったのに、すでにまた始まったようだ。