◆140801 読書日々 683
坂崎重盛の「隠居」ぶりに、羨望
1 あいかわらず『寒がりやの坂本竜馬』を書いている。いきつもどりつ、ようやく130枚くらい進んだか。特段の難儀を抱えているからではない。が、遅々としている。
平尾道雄(1900~79)と宮地佐一郎(1924~2005)、この二人は土佐高知出身で、龍馬研究に画期をなした人だ。竜馬を書こうというほどの人なら、誰もがおかげをこうむないではすまされないもの書きである。
司馬さんの『竜馬がゆく』は平尾さんに負っている。宮地さんの竜馬研究の集大成とでもいうべき仕事が『龍馬の手紙』(講談社学術文庫 2003)である。この二人が手をつけなかったテーマが1867年突如という形で登場する竹島開拓問題である。宮地の最後の仕事を手伝った小美濃清明(1943~)が、平尾や宮地が手をつけずにいた分野に鍬を入れた。宮地の遺訓でもあったそうな。
小美濃の『坂本龍馬と竹島開拓』(新人物往来社 2009)は遺訓の実現であった。同時に平尾や宮地の欠を補うだけでなく、その成果の「訂正」(修正conversion)であり、竜馬像に新しい「光」を差し入れる快挙であった。だが小美濃の業績を拙著『坂本竜馬の野望』(PHP研究所 2009)で活用することはできなかった。『寒がりやの坂本竜馬』はわたしの竜馬像のニューバージョンでもある。
現在、坂本竜馬に触れようと思ったら、松岡司『定本 坂本龍馬伝』(新人物往来社 2003)と菊池明・山村竜也編『定本 坂本龍馬日記』(新人物往来社 2009)を参照しなければ、何事かを語ることはできない。前者は950頁を、後者は500頁(菊版)を超える大冊である。ただし残念ながら、「竹島」開拓問題は「蝦夷」開拓の枝筋にすぎないという取り扱いしかうけていない。
2 BSジャパン火曜21時、「酒とつまみと男と女」というただ呑んで、駄弁って、酔って、時に叫ぶという、超リアルな番組がある。吉田類「酒場放浪記」が切り拓いた路線を思いっきりアナーキーにかつ文学的にした番組で、不良の隠居役で登場するのが坂崎重盛である。一度だけ何度か一緒に仕事をしたフリーライター・編集者の荒井さんの「紹介」で神楽坂で呑んだことがある。わたしと同じ年で、その日は呑むには呑んだが、同調から変調という状態までは進まなかったように憶えている。
坂崎さんの本は『東京本遊覧記』(晶文社 2002)に目を通した。鴎外を好きな人は、どうも好きになれない。そういう性癖をいつからかもってしまった。「わたし帝大卒よ」という臭気がその文章の裏からも見えてきそうな気がする。中身が空なのだ。鴎外嫌いは谷沢先生の影響かも知れない。
ただし番組での坂崎の隠居(?)ぶりは面白い。けっして隠居ではない。今時の老人は隠居できないのである。わたしの祖母は、「隠居」してから、表玄関を利用しなかった。50歳の頃から、裏口付近に腰を下ろし、キセルたばこを吹かしながら、つくねんとしていた。祖母をけっして嫌ってはいなかったが、「嫌み」に思えた。ところがわたしたちにはそういう「わたしは日陰者ですよ」と等と装えるほどの「嫌み」がなくなった。坂崎にももちろんない。
3 昨日思い切ってニューヨークのシャーロック・ホームズ『ELEMENTRY(エレメンタリ)』のDVDを買った。その他にもホームズもののDVDを3本と、『シャーリー・ホームズと緋色の憂鬱』(早川書房 14.7.25)を購入、それにイタリアの美学「クローチェ&パレイゾン」という副題の『エスティカ』(山田忠彰 ナカニシヤ出版 2005)を手に入れた。山田はヘーゲル研究家だが、イタリア語が堪能だなんぞは知らなかった。パレイゾンは、先日「たぱす」であった片桐亜古さんの研究対象である。
DVDはすぐに見終わるだろうが、「エレメンタリ」(ホームズがワトソンに向かっていう台詞、「初歩的」)は評判のシリーズ物で、wowoで放映していた。ただしわたしは会員ではないので、1作目(無料)以外は見ていなかった。