10月に入って、一気に涼しくなった。新しい上着を購入してくれたが、たしかに軽く暖かい。
この1週間、風邪気味なのか!? パッとしない。ま、愚痴に近いが。
1 「二都物語」を書き始めた。パリとロンドンの「二都」物語ではない。古今東西、どこにでも「二都」物語は存在する。私が生まれた「厚別」には古くは「旭町」と「東区」の、白石村には厚別と白石の、「二都」物語があった。
少年期、何かにつけて、白石小・中学と信濃小・中学校の対抗「戦」があった。いつも、明治維新で敗軍となった伊達支藩白石藩の名残が、旧武士を振りかざすような言動を見るにつけ、ドン百姓の末裔であるわたしたちは、妙に震えたものだった。
ま、いい時代に生まれたもので、わたしは越境入学して、白石組と対抗する必要のない高校に進んだので、どうやって、家郷のガラクタを振る払おうか、などという不遜心に支配され、大阪くんだりまで流れていった。
2 後年、梅棹忠夫をインタビューして、一冊にするプランにのってお会いしたとき、大阪からは「くさい臭い」がやってくる。どうもやっかいだね、といわれた。わたしは、梅棹さんの書いたものを敬愛しているので、その人物にさほど関心がなかったが、たしかに、大阪も、私も、十分にくさいと納得するところがあった。大阪「臭」は、わたしでも「うっ」とすることがあるが、私自身が20年余、ご当地で得てきたものでもあった。
3 60年代末、大学闘争の末期、東大で、大学院全国協議会が開かれたおり、私のブロークンな大阪弁で、対論者を辟易させることがあった。その言動がいかにも「くさい」からだ。(ただし、私自身は、東京人を私同様の田舎っぽ、とみなしていたが。)
少年期、私ももう少し「臭く」、二重感情で言動することができたら、何のことはなかったのかもしれない。梅棹さんのように、はんなりと強靱に、一見、単純明快に振る舞えたのに違いない。