◆250110 読書日々 1179 もうお前は人間ではない
8日、早蕨(酒場・小料理屋)に行った。ひさしぶりの訪問だ。行きは規子さんに送ってもらった。どうも、1つのことをやっていると、ついつい、つぎの行動を忘れてしまう。耄碌だが、大きな「けが」(?)のもとにならなければいいが、とおもえるが、防ぐのが難しくなりつつある。
「読書日記」といいながら、読書のことは記していない。といっても、読書をしていないわけではない。だが、多くは「再読」である。それも自分が書いてきたものが多くを占める。書き残した、ぜひにも纏めたいと思えるものに、「禁忌(タブー)の倫理学」がある。
人間社会の「三大タブー」とみなされてきた、「殺人」「人肉食」「近親相姦」である。
「殺人」は、昔も今も、異常事とみなされてきたが、昨今はよくよくある事例になった。「法罰」の対象になった、ということだ。
「人肉」は、「完全」食(料)である。だが、人が人を食べることは、特殊・異常事で、「ありうべかざること」とみなされてきた。「もはや人間ではない」ということだ。
「近親相姦」は、ギリシャ神話によく出てくるが、これを公然・通常事として行うことは、いまでも異常中の異常事とみなされてきた。
しかし、翻って、この三大タブーは、じつは人間の「快楽」中の快楽と根本でつながっている、この最大の快楽を「禁止する」ことと、人間社会の「倫理」が根本でつながっている。こう、私には思えて仕方がない。
人間の「最大欲望」を「厳禁」することによって、人間社会の理法は「からくも」維持される、ということでもある。何か大げさな物言いをしようとの意図があってのことではない。ごく平静に、三大タブーが人間社会の倫理の根幹を成り立たせているのだ、といいたいのだ。
もっとも、淡々・坦々と語ると、かえって「話」はおどろおどろしくなる。そういうテーでもある。ギリシア神話でも、近親相姦は、人肉食とともに、あってはならない異常事の類いである、と処理される。