◆150724 読書日々 734
『日本人の哲学5』を書き終え、「常春」で一人乾杯
1 7/22、『日本人の哲学』10「雑知の哲学」(410枚)を脱稿・校正終える。出版社に送稿、一気に肩の荷が下りた。
戦前期の最後「三宅雪嶺の隔日コラム」を書いて、ようやくはっきり形になって見えたものがあった。「哲学」の総姿(outlook)である。1「哲学者列伝」は「雑知の哲学」の総見(inspection)であった。10は「大学の哲学」=「純知の哲学」で終わるべきではない。「雑知の哲学」のバラエティで終わる必要がある。最終章は、三宅雪嶺の「隔日日記」①新聞連載②1932/8~45/12、③毎年まとめて1冊単行本にした。④検閲と報道管制、小新聞掲載の条件下、発刊禁止で休刊した44/4~45/10をのぞいて、滿洲事変から敗戦まで、「非常時」期の「雑哲コラム」である。ただし、「常時」を基本に生きる、山本夏彦『「戦前」という時代』の証言である。
三宅雪嶺は、東大哲学科卒だが、「大学の哲学」にはむかわず、在野で生きたジャーナリストである。わたしが、もし『日本人の哲学』全5巻を書き上げたら、「福沢諭吉の事件簿」(3部構成)とともに、三宅雪嶺を書きたいと思っているが、実現しなくとも仕方がない。福沢と三宅だけは、存分に(?)学んだと思えるが、ま、それだけでもいい、と思えるのだ。
2 この日、新札幌の歯科医で半年ごとの点検。壊滅状態だったわたしの歯も、なんとかもちそうだ。もちろん人工でだが。終わって、街に出る。雨模様で、暗い。ホテル代がバカ高いから、なかなか予算内のところがとれない。いつものパーキング台がただのホテルに着き、3条通りを東にあがる。6時少し前。2階が各種しゃれた食事どころのビルに、はじめて足を入れる。どこもちょっとお高いそうだ。一番最初の店「常春」のオーナーに呼び止められ、入る。客は一組だけ。まずビール、旨い。オードブルをとるが、鯛のカルパッチョがある。即、オーダー。ワイングラスの酒(大信州)でカルパッチョといきたかったが、鯛もホタテも、それ自体としては予想外のモノでも、タレはカルパッチョになっていなかった。安いが、残念。残ったチーズ中心のオードブルにあいそうな、マッカラン12年の水割りを頼む。こちらは冷すぎて香りが消えた。味は申し分なったが、香りも食事の不可欠の一部である。残念。といっても、岩内出身で、小樽のホテルで修行したバーテンダーでもあるこのシェフは、なかなか感じがいい。
1時間ほどで、「タパス」に向かう。すぐ近くだ。今日はどこも客はまばららしい。まだ出だしなのに、すでに酔い気分。すすきの大通りを越えて、「馬車道」に向かう。最初は1組、少し後で1人と、ここもいつものように客が少ない。ここでは果物(今日はサクランボ)が出る。ひさしぶりに「からたちの花」を唱う。陽水だよ。お千代さんじゃない。あまり飲んでいないのに、ガツンと酔ってくる。妹のやっている「きらく」に顔を出す。真鍋さんと、中山先生(組)がいる。あとから画伯もきた。いい雰囲気だ。でももう一軒寄らなければならない。藤井第4の「煌」は10時でも客がいない。ほとんど飲まなかったが、体も頭も酔っている。雨は上がった。いつものように、狸小路を伝っての帰りではなかった。部屋に着き、歯を洗い、TVも点けずに寝た。翌日、6時前に目が覚め、6時30分頃、車に乗る。
さあ『日本人の哲学』、残るは高くないが、ギアナ台地のように、ほとんど人が手がけたことがないやり方のもの、6~8部、自然・技術・人生の哲学になる。そういえば、南部陽一郎が亡くなった。取りあげようと思っていた。
南部さん、日本国籍を放棄したと、ノーベル賞受賞でインタビューを拒否していたが、しばしば日本に帰ることがあった(そうだ)。最後は阪大病院だった。
次作、12月脱稿の山本七平評伝(500枚)に取りかかる。まず、年譜作成からはじめる。7/24、鶴見俊輔の死を知る。合掌。