◆150807 読書日々 736
暑中お見舞い申し上げます。ただし、わが家は涼しいので、悪しからず
1 猛暑の中、上京した。鉄道ミニ旅行をするつもりだった。でも、暑くて、外を歩く力が生まれそうにもなく、ホテル中心の時間を楽しむはめになった。ひさしぶりの新宿だ。西口には飲み屋街が連なるが、足が向かない。ホテルから都庁の地下鉄駅まで、ガード下をずらりとホームレスが占拠している。ただし夜は飲み屋街からタクシー利用で、ホテルへ戻った(よう)。やはり暑さが原因。どうにか、自宅に戻ることができたが、豪雨の後だった。寝転ぶと、網戸越しに涼風が肌を刺す。ま、天国と地獄だ。
2 帰宅すると、中学から高校まで家庭教師をしていた渡辺高志君から手紙が来ていた。教えるよりも長いあいだ、食べらせてもらっていた。そんな関係だ。この年になると手紙はありがたい。誰も彼も、わたしもその仲間だが、メールなだから、なおのことだ。ありがとう。
3 このところ、エンヤがバックグランドミュージック。
スケジュール表を見ると、『日本人の哲学5』の9「大学の哲学]は、14.12.23~15.3.29(270枚)、10[雑知の哲学]は、4.1~7.22(410枚)で、多少とも根が尽きた感じがする。今後の仕事の進め方も、考え直さなければ、また2年前の悪夢(便器お化け=正真正銘の正夢)に襲われるかもしれない。
4 ブック・メーカーのように濫作している、とよくいわれる。いわないまでも、表情が語っている。そんなわたしでも、まぎれもなく、はっきり人生の整理段階にはいった。
残したい本は、全10巻(各巻1500枚平均)+『日本人の哲学』(全5巻 3500枚)のデジタル版にしてある。(ただし、日本人の哲学の4巻目が未完成。)
それでも、残って、読んで欲しい本はある。もちろん私情に過ぎないが、
1『欲望の哲学』(講談社 1997)、2『マルクスとマルクス主義』(1997)、3『大人の哲学、子どもの哲学』(大和書房 1997)……などである。もちろん改訂はすでにしてある。本は「最後の本」、一生に一冊書ければいいのだ、という考えもある。ソシュールは生涯に一冊の書物も出していないが、言語学を土台とした人間論(ヒューマニティ)で革命を起こした。丸山圭三郎の影響下で、わたしも多大な影響を受けた。ソシュール・丸山をとおって、マルクス的思考を脱却する手がかりをえることができた。『イデオロギーの再認』(白水社 1985)はその成果だが、編集の平井良成さんが、元同僚の山田全紀さんを介して、草深い、宿屋のない伊賀の弊屋を訪ねてこられた時の感激はいまも忘れることができない。このころは、もちろん手書きで、本が出来上がるまで3年間費やさざるをえなかった。
5 仕事は、どんな仕事でも、つながっている。何度か書いたが、まったく手がけたことのない注文でも、ひとわたり書庫をめぐって、関連しそうな書物があれば、引き受けてきた。否、何の手がかりもなさそうなテーマほど、やってみよう、やりたいという思いがふっふっとわき上がってきた。参考文献を探す旅が、また楽しかった。だから、一見して無駄だと思えるようなテーマの仕事でも、けっしてそうはならなかった、と自分では思える。これは書く仕事にかぎらない。
なによりも幸運だったのは、仕事を与えてくれる編集者に恵まれたことだ。僻地といっていいところに住んで40年である。書き下ろしが主体だった。厚い本もいとわなかった。林順治(三一書房)さんは、初期のものの過半を、書いたらすぐ出してくれた。全部で30冊以上を超える。『昭和思想史60年』と『天皇論』は自選の代表作だ。矢野恵二(青弓社)さんは『大学教授になる方法』を出してくれた。結果は大学人から総スカンクを食らうことになったが。阿達真寿(PHP)は『自分で考える技術』をはじめ、あれもこれも、出してくれた。一時、PHPの御用達しなどと陰口を叩かれた。文庫本もあわせると40冊を超えるだろう。日本実業出版社の清末真司・田中大次郎さんは『哲学がわかる事典』や『思考の技術・発想のヒント』をはじめ、多くのヒット作品を送り出してくれた。その他、新聞、週刊誌、雑誌の編集者を合わせると、お世話になった人は50指を超えるだろう。幸運の極みだ。わたしが多産だったのは、多くの編集者が書かせた結果でもある。
これはと思った作品が、売れず、反響もなく消えたものがたくさんある。残念だが、ベストセラーがたやすく出たら、それこそおかしいのだ。おかしくなる。そう思ってきた。