読書日々 739

◆150828 読書日々 739
山本七平とすごしているよ
 死が山本七平の両足首をしっかりと握って離さなくなったときである。七平は「イエス伝」を書く準備をしていた。執筆依頼に応えるためでもあった。息子の良樹が書く。
「私が書きたいのは、左右のイデオロギーに囚われない天皇論と、日本的な資本主義精神の系譜、そして独自のイエスだ。」(『禁忌の聖書学』あとがき 2000)と。
 『日本人の哲学1』=1「哲学者列伝」の戦後編に、主役登場させたのが、以下の5人と、その文壇(ジャーナリズム)デビュー作である。*はテーマだ。
 吉本隆明 1924~2012 「マチュウ書試論」(1954 『芸術的抵抗と挫折』1959) *イエス(ジュジュ)はいつキリストになったか
 小室直樹 1932~2010 『ソヴィエト帝国の崩壊』(1980) *社会主義(さらには資本主義)崩壊の必然性
 丸山真男 1914~1996 「超国家主義の論理と心理」(1946 『現代政治の思想と行動』1964) *戦後天皇論のモデル
 司馬遼太郎 1923~1996 『梟の城』(1960) *信長=日本資本主義の本格始動
 山本七平 1921~1991 『日本人とユダヤ人』(1970)
 「作品」は、自伝=立志伝(何からはじまったか?)=仕事論であり、「自分」研究である。自分史を、暗黙裏のうちに、書く。これが山本の「立志」であったことはあきらかだ。
 山本は、イエス伝も、日本資本主義精神の系譜も、独自の天皇論も、これ以上ないという形で、「書き残した」。というか、ひたすらこの3部作を書き継いだといっていい。特筆すべきは、吉本も山本も、イエス伝を書き、天皇論を、そして資本主義論を書いた。2人の違いは、吉本に戦争「体験」がない、というか書き残すべき過酷な戦争体験がないことだ。インテリ予備軍に特有な微温的で平均的な戦争体験しかなかった、などというのではない。
 山本は、満洲事変以降の日本の政治経済体を「国家社会主義」として捉える。すごい。他の4人は、ドイツナチス(国家社会主義)や、ロシア社会主義(国家社会主義)と日本社会主義の相違を、「天皇」の有無において捉えることはできなかった。山本は、端的に「戦争期」を国家社会主義として捉まえただけではなく、「現人神」の創作者を探り当てることで、天皇論の中心ー非中心問題、を摘出した。丸山真男が陥った左翼天皇論を楽々とのりこえた。なぜそんな至芸が可能だったのか。山本にユダヤ・キリスト・イスラム教論=イエス論があったからである、と推察する。
 山本は、世界最強の歴史学である「聖書学」を媒介に、日本歴史「学」を革新する作品を書き続けた。司馬が不用意に、日露戦争以降の日本の経路を「鬼胎」(日本歴史に異質な鬼子)と単純化してのべた誤りをはっきりと訂正したのだ。
 それにしても、『日本人とユダヤ人』の登場で、イザヤ・ペンダサン(山本七平)に対する左右を問わない非難は、なんだったのか、といまにして思う。寄って集って「にせユダヤ人」を血祭りにあげた。血をべっとりと浴びたのは批判者たちだった。わたしはまだ論壇の波も浴びることのなかった時期だが、この「インチキユダヤ人を批判」する学者やジャーナリストの尻馬に乗っていた。
 上記5人のなかで①もっともラディカル(根本=急進的)なのは、間違いなく山本である。たしかに②アカデミックな訓練度からいうと、小室・丸山・吉本・司馬・山本という順になる(だろう)。だが、山本には最強・最古の歴史学=聖書学を土台にしている。この歴史「学」を世に出すために、山本は書店を設立し、書籍をだし、翻訳に奔命した。すごい。わたしが拙著『日本人の哲学3』の5「歴史の哲学」の最終節で、山本の日本史を辛うじて取りあげることができたのは、幸運といわなければならない。
 もう一つの幸運に、曽野綾子とゆく「巡礼」の旅があった。1998年から何度か、イスラエルを中心に地中海周辺の聖地を旅することができた。イスラエルも、北から南まで自分の足で立つことができた。南はルクソール(エジプト)、北はクラカウ(ポーランド)、西はサンチャゴ、東はヨルダン、フランスをのぞけばほとんど乾燥地帯であった。曽野さんからの偶然の誘いからであったが、いまにして思えば必然であったと思える。