◆161014 読書日々 799
田舎のラーメンを食いたい人は、長沼の「瀧ラーメン」に!
1 10/12 「私失敗しないので」は朝TVドラマ「ドクターX」の大門未知子の、「私に売れない家はない」は日TV「家を売る女」の三軒屋万智の、決めぜりふだ。両方とも評判はいい。曽野綾子さんの『戒老録』(1972 ~44刷、増補1982 ~65刷、完本1996 ~?)はロングセラーを続けている。この本、曽野さんが40代に入る寸前、「私失敗するので」という「戒め」を込めて、しかし40~50代の壮年期に、かなり厳しく生きなければ、「老後の失敗は避けがたい」という用心のため、記し留めた防備録だ。この人、用心深い。なぜか? 藤圭子と違って、「私の人生暗かった。目も悪く、先の人生見えなかった。」を明瞭に歌い、「間違っても、自分を許せる」(間違わない人間などいない)、「次善で仕方ないじゃないの」といなすからだ。20年後は想定外だが、それまでをスピード・アップして生き抜く知恵をもとう、「いまなら、多少もてるようになった」、正確には「もてないものがわかってきた」、こう自分に問い聞かせている。じつに同感で、ま、私の周りの人たちの「居直り」と、まるで違うところか。
曽野さんには数々の決めぜりふがある。「私の乗った飛行機は落ちない。」「動物的カン。」など、わたしが耳にしただけでも、10個を下らない。全部が独断的だ。そのなかでも、いちばん好きで傑作なのは「私はだらしのないクリスチャンだ。」(含意は、「カソリックでは、多少だらしなくても、いい加減でもいいのだ。」)で、この言葉についふらふらとなって、危うくキリスト教徒になるところだった。
曽野さんは、『誰のために愛するか すべてを賭けて生きる才覚』(1970)と『老いの才覚』(2010)という2冊のミリオンセラー人生論をもっている。40年を経てこれほどのヒットを飛ばした人はほかに知らない。どちらも「才覚」が入る。その作家としての「カン」と「才覚」はすごい、といわざるをえない。ま、「才覚」を書題に入れたのは、編集者の才覚だろう。(なんて無責任なことを書く。)『戒老録』はこの中間をつなぐ作品だ。曽野人生論の真骨頂を、8『人生の哲学』で書いている。
2 10/13 渡部昇一『青春の読書』(ワック 2015.5.29)が目の前にある。厚い。600頁を超す。なによりもすごいのは、写真(口絵)入りの、新築した一〇〇坪の書庫だ。15万冊あるという。でも、なんかすぐ読んでしまいそうだ。といっていたら、夕方までに150頁読んでしまった。「読書」論は人生論で、自ずと「自伝」になる。こんな贅沢な青春譜を書くことが出来る人がうらやましい。渋沢栄一は、自財閥を作らなかった、といわれる。しかし、後世に自分の業績(works)を伝えるため、「伝記」を残すために、莫大な費用を投じた。幸田露伴も、その一役を買わされたが、功成った後の渋沢伝を書くことに嫌悪感を抱いた。そういえば、谷崎潤一郎も、和辻哲郎も、「自伝」は少年期で終わっている。それ以降を書かなかったのではなく、書けなかったのだろう。書くと「自分に差し障りがある」ということだ。もっとも差し障りのない自伝など、面白くもないが。
3 10/13 夕方、長沼温泉のそばの、「瀧ラーメン」にはじめてはいった。店の外観は、すこし大きめの古い車庫のようだ。だが中は、ボロにしてはよくよくきれいに掃除されている典型的な田舎のラーメン屋だ。アルコール類がおいていないのは、いい。ここは車で来るしかない場所にある。年齢は思い出せないという、戦後生まれというのだから、団塊の世代ふうのおっさんだろう。一人で、水戸黄門をボリュームをあげて観ている。辛味味噌チャーシュウ麺を、メンマ増量で注文する。仕上がったラーメンは、太縮れ麺で、つゆは甘辛く、チャーシュウの中は半生でつゆの温かさでしだいに仕上がるというように、総体は期待以上だ。ただし、メンマは既製品で、普通だった。残念。長沼は、いまじゃ、食べ物不毛の地である。今日も食いに行ってみるか。