谷沢永一二巻選集・下・精撰人間通(言視舎)

コラムニスト、谷沢永一のエキスがここにある!

 上巻「精撰文学研究」(浦西和彦編)に続いて、下「精撰人間通」をここにお贈りする。
 端的にいう。谷沢の文芸魂は、コラムのなかでもっとも冴えるのだ。
 谷沢の文壇デビュー作・書物コラム『書名のある紙礫』、死の直前まで二五年にわたって書き続けた時局コラム『巻末御免』、の精撰を前と後ろに置き、『歴史通』と谷沢版「忘れ得ぬ人々」(人物通)の精撰を挟んだ、まことに贅沢と呼ぶほかない谷沢精撰コラム集一巻をここにお届けする。(などと、手前味噌よろしく編(選)者が言うが、恥ずかしくない。)本書の構成(書物→歴史→人物→時局通)は、谷沢の著作順に準じたものになった。
 一九七七年、わたしが『読書人の立場』という谷沢先生の地味な本を手に取ったときから、今日まで、およそ四〇年、あっという間であったし、また長くもあった。それにしても、先生が東日本大震災の直前になくなってから五年余、遅きに失した感があるが、ようやくここに先生の遺志を体したと思える選集を出すことが出来た。ひとえに、多くの方に読んでほしいという念からだ。この選集をきっかけに、先生の文芸魂が、広くかつ深く、読者の胸に浸透し、さまざまな形で鋳直されていくことを願ってだ。
 浦西さんは、谷沢先生の直弟子(かつての学生で、関西大学教授となった)である。書誌学、とりわけプロレタリア文学の書誌研究で膨大な業績を残している、いまなお第一線の学者だ。私は、浦西さんと歳は同じで、出た大学も一つ丘を越えた隣どおしだが、谷沢先生とは、著書を通しての「弟子」関係である。自宅にお伺いしたのは一度だけで、ほとんどは東京で、編集者を挟み、仕事をかねてお会いするだけだった。それも年に一回程度である。わたしには、これが幸運だった。一緒に、それも仕事のお手伝いが出来る、これほど弟子にとっての幸運はあるまい。
 哲学=衒学、というのが先生の口癖で、わたしの前でもいうのをはばからなかった。でも、文学だって衒学に違いなく、いなかなりヤワな正体不明の衒学だ。先生はその衒学の「正体」を暴くことが好きだった。すぱっと切る、種も仕掛けもない、ただの幻じゃないか、こう啖呵を切るときのかっこよさ。これは格別だ。この人間通コラムは、『論語』や『徒然草』のような、持って回ったセリフはない。切って、三枚に下ろす、そんな手際だが、「余韻」がある。わたしなどが真似をしようものなら、噴飯物になる。先生は、鴎外も、そして漱石も嫌いだったろう。でもそんな鴎外が、嫌いだけではすまされないかったのである(と思える)。
 どうぞ、短いコラムの、鋭気と余韻を存分に味わって欲しい。値段はかなり高いが、持っていても、読んでも、自慢になる。(鷲田小彌太)

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