読書日々 828

◆170505 読書日々 828
鉄道トラベルミステリ作家
 春雷のあとは、まさに春満開で、昨日、染井吉野が花を開いた。ま、たった2本にすぎないが、気持ちのいいものだ。ゴールデンウィーク時には、毎年、隣のハイジ牧場の牧草地に入り、根まがり竹(タケノコ)を求めて散策するのだが、今年は腰がふらつき、むりのよう。タケノコは食べたし、体がいうことをきかない。
 1 昨4日、ひさしぶりに息子が400ccのバイクでやってきた。わたしのPCのデータ等を移動してくれるためだ。これで、厚別と長沼で、同じように仕事が出来る。とはいえ、どれだけやれるのか、未知で、先が思いやられること甚だしいというべきだ。また妹が上の娘と立ち寄ってくれた。わたしは足を失って、ま、かかし状態だ。20度を超して、風の気持ちいいこと。下旬には、上京→津→名張→富山とひさしぶりに旅をする。
 2 旅は、津の三重短大の初期の教え子等数人に会うためだが、旧上野市の南端に8年間住んだところでもある。今度は、名張(乱歩研究家の中さんに会う)から足を伸ばして、高山線を経て、富山まで行ってみることにする。そういえば、高山までは、2部の学生のゼミ旅行で、車で行ったことがある。遠かった。3月だったから、じつに寒かった。
 三重短は、貧乏な市立の短大だったが、学生は名古屋と伊勢の学生を中心とした、勉強熱心で優秀な子が集まった。2部の学生は、勤労者で、ことのほかまじめだった。もしこの大学に友人が引っ張ってくれなかったら、わたしの教師生活も、物書き生活もありえなかったことになる。もちろん『大学教授になる方法』(1991)など書くこともなかっただろう。
 昨年は、3月末、宮崎、大分方面を巡礼でまわって、帰りに、秩父へ電車の旅に出た。東武と西武の両鉄道を利用してだが、対照的なこと、この上なかった。電車は、乗るだけで落ち着く。儲けものは、荒川全線を乗り、早稲田から神田川の両岸に咲き誇る桜を観ながら、江戸川橋まで散策したことだ。ほとんど人に出会うことのない、さわやかな一日だった、と記憶している。
 5年前、定年退職して、足慣らしを兼ね、各駅停車で日帰り旅をしようと考えたが、実行できたのは、数えるほどしかなかった。行きはよいが、帰る便がないのだ。あと何度上京、上阪できるか分からないが、銚子と豊岡には行けたらな、と思う。それに、もう一度長崎に、そしてできれば佐渡に。欲張りすぎだろうね。
 3 鮎川哲也は、今週は、『準急ながら』で、月寒(札幌)、烏山、犬山、五所川原と移動する、トラベルミステリでもある。烏山と五所川原は路線のドン詰まりだ。今度もまた、わたしの頭では、アリバイの糸を崩すことはまったくできなかった。
 鮎川の探訪記『幻の探偵作家を求めて』(晶文社 1985)(続編『こんな探偵小説が読みたい』晶文社 1992)は、筆を折って消えていった作家の痕跡をたどる、文字どおり生のミステリトラベル作品だ。21人登場するが、作品(「煙突奇談」)を読んだことがあったのは、地味井平造(函館出身長谷川四兄弟の次男)のみで、他は名だけでも知っている人はいない。もちろん、というか、ミステリ界の生き字引といわれた乱歩の作品(評論等)には登場するだろうが、わたしには、鮎川が紹介する記事(過半は物故記事)より、さらにミステリアスな作者たちに思える。2つだけ。
 281pに、鮎川『戌神は何を見たか』は名張を舞台にした作品だ、という記述が出てくる。名張在住の中さんにあう。この作品を読んでいかなくては、と思える。なお、乱歩と鮎川の間には深い因縁があって、1950年、ミステリ雑誌『宝石』(岩谷書店)の100万円懸賞に一等入選した『ペトロフ事件』に、賞金が未払いになった。その悶着で、あわや、作品も作家鮎川も、生まれない(消えた作家の仲間入り)という事態になった。経営難に陥った『宝石』再建に起用されたのが乱歩(編集長)で、鮎川の作品を推し、連載した。
 7に芝山倉平が登場する。国鉄マンで、電化の鬼といわれた。のちに明電舎の社長になった、札幌生まれの北大出身である。井上美香との共著『なぜ北海道はミステリの宝庫なのか?』(亜璃西社 2009)にはもちろん落ちている。