◆170901 読書日々 845
よく晴れた初秋の日に
9月、ひさしぶりに、早朝からの好天だ。一昨日、厚別で、鰯雲が棚引くのにしばし驚かされた。でも空気は冷たかった。今朝は長沼で、いつものように、セイダカアワダチ草の駆除で、鋏をとった。すぐに大型の蜂が寄ってきた。近くに巣を作ったらしい。今年は虫も、とくに蛾の群れがほとんどなく、いい。これほどの年はなかった。
30年余、雑草と虫との闘いだった。といっても、わたしは網戸の中で黙然とするにとどまっていたが。ただし、いくつかの例外が、セイダカアワダチである。といっても、周りで、この草の勢いが激しく衰えたさまが見てとれる。夏草だって、年々歳々、咲き乱れるのではない。兵どうよう、栄枯盛衰が常だ。30年同じ地に住んできて、実感できる。
ここまで書くのに、枝切り鋏を使ったので、腕が震え、指が硬直して、キイがうまく打てない。ま、わたしがまったく樹、草、雪と関わってこなかった理由だ。
1 鮎川哲也、三番館シリーズの残る2冊、『サムソンの犯罪』『ブロンズの使者』に突入。なんだか寂しくなったので、エラリ・クイーン『ローマ帽子の謎』(1929)を井上勇訳で読み始めた。
ま、クイーン警視の初動捜査は徹底している(ように思える)。だが「事件」は調べれば調べるほど、「謎」が深まるのだ。これは「犯罪事件」にかぎらない。「関係の絶対性」(廣松渉)や「重層的非決定」(吉本隆明)による。南部陽一郎「非対称性の自発的破れ」といってもいいし、福岡伸一「動的平衡」でもいい。「真理は1つ」などと平然と述べる法規的公準とはまったく違う世界だからこそ、「常識」(裁判官の裁量=decision)のジャッジメント、「裁判所の真理」が必要になり、有用になる。
クイーンは、本格ミステリの巨匠中の巨匠だ。わたしは、ずっと以前に、バーナビ・ロス名義の4部作X・Y・Zの悲劇、ドリル・レーン最後の事件を読んだ(残念なことに誰かに貸したのか、鮎川信夫訳の文庫版が残っていない。残念。)。この処女作他は、未読であった。これで半年分の読書本は、4部作の再読も含めて、準備がなったが、あくまで予定というか、余望(?)の類いだ。
そうそう「講談社書き下ろし長編推理小説シリーズ」の1冊、三浦朱門『地図の中の顔』(1959)を手に入れた。三浦・曽野夫妻は、ミステリ好きというか、ミステリも書いている。鮎川はこのシリーズに『憎悪の化石』(1959)で参加した。13回探偵作家クラブ賞を受賞した記念作だ。この時代の造本、じつにいいね。
2 8月はメインも乱入も含めていろいろ仕事があった。こなした。9月は、書評連載(今月で最後)のほかに、2本、短いのが入っている。次の仕事も決まっている。長くなるが、じっくり行くしかない。
もし命が延びたら、哲学事典を書き上げたい。『日本人の哲学』をものしようと決意したとき、この仕事はとても難しいと思ってきた。それに、蔵書の大半はすでに整理してしまった。哲学辞典類はほとんど残っていない。可能かというと、不可能に思えて仕方がない。でも、やってみる価値はある。予定帳だけには記しておこう。というのも、『日本人の哲学』は、以前にも述べたが、わたし自身のさまざまな「予習」があって、できたことだ。闇雲に洞窟を掘るのは、20~30代の常だった。すこし進むと、入り口を見失う。その連続であった。
3 (急に文頭余白の変換が不能になった。再起動させたが、当の箇所だけ動かない。仕方ない。無視して進もう。面倒だが、1字明けて、改行する。)
ここまで来て、指の硬直が消えた。というか、半ば硬直したいつも通りになった。