◆170825 読書日々 844
脱稿した。まだブラシをかけなければならないが
4月、運転免許を返納してから半年近くたった。面白いもので、遠くを見る必要が減ったのか、視力がますます弱まったように感じる。移動が意のままにならなくなったのは当然だとしても、もともと在宅主義である。さして困らない。急がなければいいのだ。それに急ぐ仕事が減った。長沼と厚別の二重生活も、慣れはじめた。ま、厚別は家郷だが。
ただし今年の夏8月はしのぎやすい。湿度が高い。乾燥肌のわたしには、じつに凌ぎやすい夏だった。それももう過ぎようとしている(とは問屋が卸さないかもしれないが)。
1 一昨23日、笹田君の奥さん(在奈良生駒)から電話があった。18日に死去した、という報告だった。5月に三重の津に行って教え子たちと会い、名張まで足を伸ばした。事前にメールを送ったり、電話をしたが、通じなかった。かなり悪いとは想像していたが、その通りになった。型どおりのことだが、冥福を祈りたい。
笹田君とは、大学が同期で、好みは異なったし、京都出身でいちばん苦手なタイプだったが、すぐに友達になった。きっかけは、電車の中で突如手製の「詩」を手渡されたことだ。独特の、大人の字で、詩など書くのか、ませているな、と田舎者のわたしをびっくりさせた。専門課程は笹田仏哲、田畑独哲、鷲田倫理と講座は分かれたが、ともに哲学科に属し、そのまま大学院に進んだ。三人とも大学教授になれるなんて夢でしか思っていなかった、と思う。だが笹田、田畑、鷲田の順に定職に就いた。
そのご紆余曲折はあったが、同期で長いあいだ継続して友人であったのは、この三人だけではなかったろうか。それに盟友という関係が長いあいだ続いた。
今年は、三浦朱門、山本晴義、背戸逸夫、笹田利光というように、かけがえのない人を失った。ま、歳の順といえばそれまでだが、自分の順番が近いということでもある。
2 「大学教授になる方法」最終版というか、21世紀のバージョンアップ版を書き上げた。7月21日に書き始めたのだから、まずまず順調な仕上がりといっていいだろう。
日本でも、ハウツ(how to)ものというと、お手軽と思われる。それはかまわないが、「技術」(how to=art)の欠落した議論ほど空疎なものはない。わたしが手本としたのが梅棹忠夫『知的生産の技術』だった。
谷沢永一先生は、「技術」という言葉を嫌った。しかし、PHPの編集者が、わたしの「方法」とか「技術」(『自分で考える技術』)とかを、ハウツもの、ハウツものと連発するのに対し、鷲田君のは空疎な方法論や技術論ではない、きちっとした大学論であり、学問論なのだ、と釘を刺した。ただしわたしは、「ハウツ」を含まない議論を空論とみなしている。
「人権」や「基本的人権」の内実や実現方法をまるで無視しながら、人権を盾に、差別や選別を非難、批判する論者に何の意味も見いだすことはできない。
それでも、「大学教授に資格はいらない。偏差値45~55程度でもなることができる。」と書いたとき、廣松渉先生から、その通りかもしれないが、みんなが(君もわたしも)苦労してなっている、なろうとしているんだから、人情味に欠けるのでは、とはがきで書かれたことがある。その通りで、廣松さんは、じつに「ハウツ」を重視した。だが、人情深く、個々の細部の情実を重視するあまり、まともな「ハウツ」を軽視せざるをえなかった、と思える。
3 鮎川哲也は、先週寸言した、三番館シリーズの『太鼓たたきはなぜ笑う』『材木座の殺人』に進んだ。鮎川書が50冊余を超えた。頭が鮎川ミステリに染まったのか、何とかその難解なパズルに接近し、解くことができるようになったのかな? と思える。