読書日々 876

◆180406 読書日々 876
4月、残務計画を立てました。
 4月になった。まだ生きている。それもかなり元気だ。自分でもおかしいが仕方ない。それで計画を立てた。ほぼ残務整理の感があるが。
 1 やはり『福沢諭吉の事件簿』を仕上げることだ。3冊目は、政治がもろに絡んでくる。それも国際関係だ。日清韓で、福沢はその舞台の真ん中にいた。そういうときの福沢のトーンは高い。失敗を招き寄せる確率が高くなる。その成否の筋だけ追うのではなく、新しい登場人物を仕立てて、簡明かつ粘り強く書かなければならない。日本に亡命した盟友(?)金玉均は、小笠原から北海道に流される。明治20年代初頭の札幌を舞台にする。
 2 『異例の哲学  三宅雪嶺』はきちんと「読解」されることの乏しかった日本哲学の巨星、雪嶺論だ。『日本人の哲学5』「10雑知の哲学」で概略述べたが、詳論はまだ100枚くらいだ。時間も残されているようだから、きちんと仕上げたい。吉本隆明と雪嶺をきちっと仕上げたら、哲学史家としての最低(or最上)限の役目は果たしたことになるのではないだろうか。
 3 それで吉本だ。『吉本隆明論』(三一書房 1990)、すぐに増補版を出してからやがて30年になる。間接・直接の違いはあるが、吉本さんと谷沢さんには、いちばん多くの学恩を受けた。この著以外にも、長短あるが、なんども吉本に触れてきた。書いてきた。『日本人の哲学』(1哲学者列伝・4経済・7技術)でもメインに取り上げ、テーゼ風に書いた。さまざまな媒体で書いた書評も、寸描もある。それでというわけではないが、『吉本隆明集成論集』を2巻本で出せたら、これにすぐる幸運はない、と思える。
 以上を最低でも1~2年以内に仕上げる。これが第一の目標だ。(ま、オリンピック前までか?)計画を立てると、最速で仕上げてしまう、「これがわたしの悪い癖」と杉下右京のように気取っていってきたが、パワーが落ちている。固有名詞がすぐに思い出せない。この「杉下」がすぐに出てこない。まずいことに「短絡的」がますます高じている。
 4 友人から、「主任警部モース」について、メールがあった。モース・シリーズ(書籍)について、2000年前後に話したが、わたしは興味を示さなかった、とあった。まったく思い出せない。多分そのころ、ラブゼイ(ピーター)の超(?)長篇シリーズ『偽のデュー警部』ほかを読んでいて、関心が別のところに向かなかったのだろうと思える。実に残念なことをした。小説の舞台はバース(ローマ帝国の遺跡=バスがある町)で、現在の(最近、画面で瞥見した)ような観光都市ではなかった。
 ただしすぐにモースものの第一作『ウッドストック行き最終バス』は購入したが。出だしはTVのほうが印象深く複雑だ。
 5 携帯(ガラ系)が突然声を失った。相手に声が届かない(らしい)。9年余使った。スピーカーの故障で、同型に取り替える。わたしはNTTにずいぶん世話になってきたが、ドコモはどうも好きになれない。でも、時々携帯で知らせがある。その知らせは貴重だ。いまなおメールを使わない(えない)人がいるからだ。
 6 三宅雪嶺を、ノートを取りながら、再び・三たび、読み始めた。ノートといってもPCにだ。わたしの世代は漢籍が読めない。雪嶺は漢籍を自在に使いこなす。(もちろん英独語もだ。)自在に引証する。そこを味わうことができれば、面白さも倍加するのにと思えるが、もう遅い。というか親しむ意志がほとんどない。「訳」で済ますならいいが、字面を読み飛ばす。(「残念!」)戦前派と戦後派の決定的違いだ(ろう)。
 7 「つらい」とき、腹が立つとき、紛らす方法は唯一、仕事を猛烈にすることだった。自ずと、解放される。どうでもよくなる。仕事を猛烈にこなしたときは、ほぼすべて、猛烈に怒っているときだった。その怒りが少なくなった。老熟というより、老衰だろう。