読書日々 875

◆180330 読書日々 875
生誕100年、鮎川信夫の鬼貫警部シリーズのTVドラマ化を望む!
 急激に暖かくなった。でもまだ暖房は切ることができない。外気に長く触れていると、皮膚がつっぱる。三寒四温というが、この季節特有の状態だ。それでもこの冬は乗り切ったという実感が、乾燥肌体質のわたしにとって、やってきた。フルコートを塗る量がぐんと少なくなる。
 1 鮎川哲也原作シリーズ、「刑事・鬼貫八郎」(全18)がBS再々放送で終わった。見応えがあった。原作の鬼貫警部のイメージは、とことん崩されているが、ドラマはよくよくできている。むしろ原作をよく読んでいる者にとって、このドラマは、面白い。工夫と創意が、低制作費の枠のなかで、よくよく果たされている。
 原作の鬼貫警部は独身(主義者)で本庁所属の敏腕刑事、TVの鬼貫巡査部長(警視総監・警視監・警視長・警視正・警視・警部・警部補・巡査部長・巡査)は所轄(東中野署)の敏腕刑事で家族(妻と娘)もち、糖尿病を抱え、食事制限が課せられている、という設定だ。
 秀逸なのは、鮎川のトリックとアリバイ工作・崩しの再現ドラマにある。これは西村京太郎や内田康夫のドラマ化とは質的に異なっている。そうそう、内田の死去により、昨29日、浅見光彦(中村俊介主演)シリーズが最終回を迎えた。実につまらなかった。よく、そんなドラマを見るね、といわれれば、シリーズ主演水谷豊以来、このご都合主義で「移動」はあるが動きの少ない(原作通りの)ドラマをずーっと見てきた。なんだ原作も読んでいるのと聞かれれば、『鬼首殺人事件』は読んだ。林(元三一書房の編集者)さんの処女作出版記念会のため、氏の郷里、秋田の横田(敗戦直後、ここで石橋湛山がいち早く「東京経済新報」を再刊した)へ、栃木の秘湯板室から車で向かう途中、鳴子温泉の外れに鬼首村があった。たしかそこで一服した。また鬼首村といえば、横溝正史『悪魔の手毬唄』の舞台だ。だが架空名ではない、実在の村が舞台だとおもって読んだが、いかにも内田作らしく、今日書き始めて明日書き終わるというような手軽さなのだ。もっとも、このシリーズ第一作『後鳥羽伝説殺人事件』は面白かったような気がしている。光彦の妹が忙殺され、それを光彦が解明するという作品だった。筋もなかなかこっていた。
 鬼貫八郎刑事シリーズも面白かったが、鬼貫警部シリーズをぜひTV制作してほしい。来年は、鮎川生誕100年に当たる。いつまでも松本清張のドラマ化ではないだろう。
 2 NHK・BS(土)「刑事モース・オックスフォード事件簿」が面白い。これに比べるとわたしも堪能した「シャーロック」は、ドタバタ劇に思えてしまう。ところが「主任警部モース」があるのだ。オックスフォードのベテラン刑事で、イギリス人気ミステリ作家コリン・デクスター(1930~2017)『モース警部』原作の、超人気シリーズだ。「刑事モース」は、その若き日の活躍を描くシリーズでが、背の高い若いモース(巡査)に対して、背の高くないアル中で昇進の見込みもない警部が、事件を複雑にして解決する手法は、若き日そのままだ。詩に強く、古典作品や音楽、特に歌劇に目のない、車と女と酒好きのだが、万事に端正さを失わない男だ。相変わらず力は弱い。「主任警部モース」(インスペクター・モース)のボックス1(9×2枚)を購入し、ゆっくり見ている。若き日のモースは、堂々たる中年モースから「演繹」した姿だろう。時代は1960年代から80年代に移り、まだパソコンや携帯は現れ・普及せず、オックスフォード大の「権威」主義はあいかわらずで、日本人にあわないこと甚だしい。ただし「イギリス病」からの回復期で、国運は上向きだった。(時代の風向き・風俗を見るに、推理小説を読むにしくはない、という定則がある。そう思える。どんな音楽を聴き、車に乗り、なにを飲むか等々は、「人情、世態風俗」を知る鍵の一つになる。そういう点でいえば、今様の作品を読まなくなったわたしなど、「古物」になりつつある、否もうなった、といっていい。大藪春彦から源氏物語までを読んできた林望が、『役に立たない読書』(集英社インターナショナル晋書 2017)で「古典を読め」と強調するのを、笑い飛ばすことはできない。