◆180413 読書日々 877
自分の書いたものを忘れる。自作を読む
昨夕、雷が落ちた(ようだ)。長沼にいるとき、雷は、雷光を発して轟き、茅舎を振るわせ、心胆を寒からしめた。といっても、これは女房のことで、ダダーンという衝撃、わたしはわりと好きだった。住んでいる情景にふさわしいと思えたからだ。いま住む厚別では、ドーンという一声で、影も形も見えない。TVが震えた程度だ。
1 寝転がって宮脇俊三『時刻表2万キロ』(河出書房新社 1978)を再読する。宮脇さんの処女作(52歳)だ。「国鉄全線完乗記」で、この本で鉄道作家として立った、といっていい。鉄道をトリックに使う鮎川哲也等々を読んで、せかれる思いで宮脇さんの乗車記を読むと、味わいが違って、独特の趣を感じる。越前の「勝原〔かどはら〕」という駅名は、その読みがなかなか記憶に定着しない。
2 『忘れ得ぬ北海道の鉄路と駅 DVDBOOK』(宝島社 2017)を購入し、観た。廃線・廃路・廃駅中心のもので、「完全撮り下ろし」というのは間違いではないだろうが、古いフイルムが混入し、それに全部が鮮明度に欠けるため、廃駅紹介としてはまずくないのかもしれないが、なにだか旅情感にメリハリのない仕上がりになっている。ま、こんなものなのだろう。
3 三宅雪嶺『人類生活の状態』(上下)読了。摘要を記したので、かなり手間取ったが、この調子で『学術上の東洋西洋』(上下)をこなし、坦々と進めば、いずれ終着駅に達する(だろう)。それにしてもまだまだノートの時期が続く。終わりのない仕事をしている気配濃厚。
4 妙な気がしないでもないが、暇ができれば自著『日本人の哲学』を判読している(ことに気づく)。わたしは、自分の書いたものも、忘れてよいという態度でここまでやってきた。昨12日、『日本人の哲学』の仕事をやっている最中、疲れて、よろよろと外に出、境を超えハイジ牧場の方に歩を進めるべく、溝を跳び越そうとしたら、心では飛び越えているのに、溝のなかにも達せずに、バタッと倒れてしまったその情けない有様を、女房が遠くから垣間見ていたことに話が及んだ。歩かない病の結果だ。まっすぐ歩く作法を忘れてしまった、飛び上がろうとして、足が地から離れない、……と同じように、自分の書いたものをすっかり忘れている。おぼろに覚えていても、どう書いたか忘れる。昨今にはじまったのではなく、「書くと忘れる」という習性をつけたのだ。ハードディスクのなかにあるからいいじゃないか、という心的メカニズムだ。これには、性癖とはいえ、参る。それで、ときに自作を熱心に読む仕儀となる。
5 わたしが愛読している書に、『世界ミステリ作家事典』(国書刊行会 上下)がある。一人の作家に、多くのページや情報をさいたもので、モース主任警部もののコリン・デクスターには、堂々4ページ余(およそ20枚)が割かれている。この作家、モースのオックスフォードではなく、ケンブリッジのクライスツ・カレッジで古典文学を学んでいる。……つまりは読む事典なのだ。
もちろん『日本ミステリー事典』(新潮社)もよくよく読ませてもらっている。一見地味だが、井上美香との共著で『北海道はミステリの宝庫か?』(亜璃西社)を書いたときは、存分に活用させてもらった。というか、この事典がなければ、書くことはできなかったといってよい。もちろん事典はあくまでとっかかりだ。作品を集め、作者を知り、……、書くのは、独自の仕事だ。それでも、網羅的な作品を書くには、事典類は欠かせない。それにこのミステリ事典、エピソードなど挟まって、読ませるのだ。