読書日々 883

◆180525 読書日々 883
平成思想30年史
 どんよりした朝だ。ま、体もだが。少し根を詰めてやった仕事が、ようやく(1)だけだが、まとめることができた。「コラム・平成思潮30年(1)」だ。the current of thought である。「思想」史だ。
 1 平成は、わたしにとって実に収穫の多い、というか種蒔きの多い時代だった。そのとっかかりで、吉本隆明論を書き、天皇論を上梓し、「マルクス主義」と「社会主義」のリミットを最終的に確定することでき、わたしの職業論(職業としての大学教授=大学教授になる方法)を書いた。
 このときから30年、正確には2012年まで、(ほぼ)途切れることなく新聞紙上(毎日・朝日・北海道・東京・日刊さっぽろ)や週刊誌(ポスト・サンデー毎日)でコラム(書評を含む)を連載するチャンスを得ることができた。つねに、未知の編集者が声をかけてくれる出会いがあってのことで、この上ない幸運であった。それに、70歳、退職を迎えて、「日本人の哲学」(全5巻)を上梓できた。わたしなりの、「日本人のイノベーション1300年史」である。紫式部も吉田兼好も、北条泰時や伊藤博文も、武藤山治や柳井正、高橋亀吉や長谷川慶太郎も、日本が世界に誇りうるイノベーターである。
 2 6月末に、北海道100年に絡んで(とわたしは思っているが)、「北海道のイノベーション」(言視舎)が井上美香との共著で出る予定だ。期待してもらえるのではないだろうか。井上さんは、すでにライターとして独り立ちし、わたしとはちがった色合いでものを書いている。50代、考えてみれば(みるまでもないが)、平成がはじまった時代のわたしと同年代だ。わたしは、稔り多き時代に井上が伊藤整論を書くことを期待している。
 3 わたしはただの歴史好きにしかすぎないが、歴史家で好きなのは、実に好対照だが、内藤湖南(京都学派)の学統を継ぐ宮崎市定(1901~95)と独立不羈の岡田英弘(1931~)だ。宮崎は東洋史の専門家だが、同門の貝塚茂樹(1904~1987 湯川秀樹の弟)や吉川幸次郎(1905~1980)とはかなり違う。三人ともチャイナ史を専攻し、『論語』の翻訳をしている。ただ宮崎の論調は、日本とチャイナを等距離感で臨んで、明晰でますらお(mighty)ぶりの歴史観が好もしい。その典型が、『中国政治論集:王安石から毛沢東まで』(中公文庫 『中国文明選11:政治選集』〔朝日新聞社 1971〕改題)と『論語の新研究』(岩波書店 1974)だ。
 71年というと「文化大革命」(じつは「文化大破壊」)の名の下に、『毛語録』が聖典(水戸黄門の印籠)として猛(毛)威を振るっていた。そのさなかである。よくぞ親チャイナの朝日が、毛思想を根こそぎ否定する解説本を出版したものだ。宮崎の威力か。『論語の新研究』は論語を歴史上の「テキスト」、「聖典」としてではなく、「歴史」産物として、したがって当該期の書物として読もうとする、あたりまえのテキスト・クリティークを前提としている。そのうえで、論語が現代にも通じる、学ぶに足る書物であることを活写する。孔子が生きて活躍していた時代、孔子はそれほど重んじられておらず、むしろ市井に隠れた、変わり者にすぎなかった。こう宮崎はいう。これは、中村幸彦が江戸近世文学を読む姿勢(『近世的表現』)と同じで、特別のこととは思えないが、チャイナ歴史・文学研究では、希なのだ。
 学而篇の冒頭、子曰。學而時習之。不亦説乎。有朋自遠方來。不亦樂乎。
 孔子は私塾の先生だ。一年に一度、期日を決めて集まり(授業料を納め)塾祭を開き、学んだ成果を披瀝しあう。こんな楽しいことはない。孔子は故郷に容れられず、近くにほとんど知己がいなかった。ところが遠くから……。
 現代語にすると、時を決めて(弟子たちが)参集し、お復習(さら)い会を開く。こんな楽しいことはないではないか。まったく思いかけず遠方から珍客が訪ねてくれる。これこそ人生最大快事ではないか。(いま手許に宮崎本がないので、文意だけを。)
 4 相変わらず、宮脇鉄道本を開いている。外国に鉄路を延ばすと、文章も間延びするもよう。残念。