..◆190419 読書日々 930
山本夏彦『私の岩波物語』
朝くらい。春雨が降る。まだ桜の季節には間遠いが、いっせいにギョウジャニンニクをはじめとする野草が伸びてきた(と旧宅から摘んできたつれあいがいう。)昨晩食べた野草の和え物、美味かった。
1 宮崎駿の「風立ちぬ」(ノーカット版)をTVで観た。三度目になるか。初観のときと、何か印象がひどく違う。
戦前、大正末から昭和の初め、主人公堀越次郎が卒業した時期、確かに就職難だった。名古屋を目指して職を求めて線路の上を歩く人たちの群が生き生きと写されている。だが悲壮感は、清水幾太郎にあったが、同じ世代の堀越もはない。
この作品、零戦の設計者の物語で、武器を作ることと、とことん経費を省き、作者が望むギリギリのモデルを実現しようとする技術物語で、当たり前の時代背景を見事に描ききっている。「反戦・平和」が正義で善だなどという主張はほとんど顔を出さない。
戦前にも、勿論、民主主義も平和主義もあった、と誰にでもわかる言葉で書いたのは、山本七平(『昭和東京ものがたり』全2 読売新聞社 1990)であり、山本夏彦が短く誤解なきように書いた『「戦前」という時代』(文藝春秋 1978)である。何がいいたいかというと、宮崎「風立ちぬ」には両山本が記した「戦前」が素描されているということだ。この作品、宮崎の傑作と思えた理由だ。
2 それで、山本夏彦の本を旧宅の書斎から掘り出してきてもらった。季報唯研「世界の〈今〉を読む:この一冊」の特集で、山本夏彦『わたしの岩波物語』(文藝春秋 1994)を紹介(3000字)するためだ。
私に『思想』から注文は来なかったが、「現代思想」ほかの講座シリーズで、3本の中編、それに雑誌「読む」の書評連載等、岩波から、一冊になる分量の注文があった。30~40代のとき、岩波から注文があると小躍りしていたには違いないが、50代になっていたので、どれもたんたんと書いた。
戦前、『思想』編集者として辣腕を振ったのは林達夫(『思想の運命』『歴史の暮れ方』)で、林は戦後平凡社世界百科事典の編集長になった。その林の「功」は取り沙汰されるが、「罪」については、ほとんど取り沙汰されずにきた。平凡社の百科事典は、戦後のより戦前のほうがいい内容だと喝破したのが、渡部昇一で、平凡版をデジタル版で利用することたまにあるが、総じて三省堂のほうがかなり内容がいい。
岩波の看板は、漱石全集と広辞苑だ。大学に入ってすぐに古本屋で求めたのが、権威を誇る『広辞苑』(第一版第八刷 1960)だった。しかしこのミニ百科事典になじむことはほとんどなかった。現在(デジタル版)、ソ連が崩壊してのち、マルクス・レーニン主義に対する無条件に肯定的な評価はなくなったが、「広辞苑ではこうある」という校正者に対して、わたし鷲田は今でも偏見(prejudice)を持っている。
もっとも広辞苑を利用しないかというと、そうではない。林房雄は第1版では完全に無視されたが、第6版では「小説家。本名、後藤寿夫としお。大分県生れ。東大中退。プロレタリア作家・論客として活動。小林秀雄らと「文学界」を創刊。のち浪漫主義的民族主義に転向。作「青年」「息子の青春」、評論「大東亜戦争肯定論」など。(1903〜1975) (写真)撮影:田沼武能」と記されている。「転向」しなかった物書きなどいたのか。書かなかった、書けなかったからではないのか。
そうそう堀越の飛行機をモデルに、ホンダの飛行機が飛び出そうとしている。見物だ。
3 あいかわらず読んでいる。観ている。でも端から忘れてゆく。ただし「フォイルの戦争」の続編、戦後編がはじまった。フォイルにとって「戦後」ではない。戦争処理である。ときに戦争屋チャーチルは、首相の地位を追われ、労働党が勝利する。日本でも、第一回選挙で社会党片山哲内閣が誕生した。日本は敗戦したから当然とはいえ、事情は英国でも変わらなかった。林達夫は敗戦直後、マスコミも評論家も、「オキュパイド・ジャパン」に口を閉ざし、米軍を解放軍と呼んでいる、と批判した。当たっている。だが「どうするか」を語らない。語れない。戦前も沈黙(編集)し、戦後も的確に語っていない。つまらないルソー論を、加藤周一(平凡百科辞典の戦後二代目編集長)にべたほめされている。まことに恥ずかしいかぎりだ。ルソーこそ民主の名で独裁断行を指揮する革命(思想)家だった。そんなルソーに林が同意したんだって。「転向」だろう。別に転向が間違っているといいたいのではない。房雄が転向なら、達夫だって転向じゃないか。転向=転回、である。