読書日々 929

◆190412 読書日々 929
自分による自分のための全集
 1 77歳、喜寿である。佐藤一斎『言志四録』の三冊目、「言志晩録」を記し留めた年齢だ。ずいぶん長く生きたと思える。かつて老人の三種の神器は、メガネ、TV、車であると書いた。そのわたしが75で車を捨てた。メガネで矯正できないほどに目が劣化したからで、「山」を降りざるをえなくなった理由の一つだ。そういえば、「ポツンと一軒家」という「評判」の番組で、山中の生活を捨てない理由に、自力で移動できる車(ほとんどは軽)の運転がある。悔しいほどに羨ましいが、頭は惚ける、足は萎え、パソコンを叩く指は、あらぬキイに触る。先週も回数を間違っていた(訂正したが)。
 ただし、以上はぼやきではない。楽しく気ままに生きている。そのひとつに、これまで書いてきたものの訂正・「再版」を目指している。これがなかなか厄介だが、楽しい。
 2 たくさん書いてきた書群のひとつに、人生論がある。大学へ入ってすぐ、『世界人生論全集』(筑摩書房 全16+1冊)が出た。このころの筑摩は元気がよかった。それでというわけではないが、ケチなわたしが生協で買い求めた。わたしが人生論に強く惹かれていった理由のひとつになった。それに、1990年代、人生論、処世術を主流とする出版社、PHP、日本実業出版社、海竜社その他との付き合いが多くできた。
 『ローマ人の処世術』『人間関係の哲学』『哲学詞華集』『超要約で世界の哲学を読む』『はじめての西洋哲学史講義』等々で、数十冊になる。一つ一つ、訂正版を出して手許に残してゆきたい、と思っている。プルタルコス『モラリア』、モンテーニュ『エセー』、教訓癖を抜いた佐藤一斎張りの、いやいや三宅雪嶺の人生論(『世の中』他)に近いものを、自分一人のために残しておきたい。
 わたしは和辻哲郎全集が、すでに生前にピシッとできあがっていたと、嫌みまじりに書いたが、PCの時代である。わたし自身(自分用)の全集、全10巻+別(5)巻1をデジタルで仕上げている。
 先週、『人間関係の哲学』を仕上げ、いま『ローマ人の処世術』を仕上げようとしている。自分の過去の作品を再読するなんて嫌みの極に似ている。でも司馬さんの本の数には負けるかもしれないが、かなりの量を書いてきた。モニターで読むのは、本で読むのよりずっと楽だ。老人用だね。
 3 谷口孝男(元道新記者・論説委員)さんが北海道文学館をやめた。明日会うことになっている。同姓同名(年齢も大学・学部も同じ)の谷口孝男(故・北見工大教授)さんとも浅からぬ縁があった。人名辞典(北海道文学事典)では同じ一人の人と間違えられてきた。
 谷口さんの道新最後のコラムは、吉本隆明追悼文ではなかったろうか。若いとき『吉本隆明の方へ』(青弓社 1987)を書いている。わたしが『昭和思想史60年』(三一書房 1986)を書き、マルクス主義批判と吉本隆明論にドライブしていった時期と重なる。
 そうそう、長沼の馬追山に「ポツンと一軒家」を建て、パソコンを使って書き始めた時期とも重なる。そんな時期に谷口さんと出会った(と思う)。
 わたしは新聞記者と会うことを可能な限り避けてきた。そんなわたしに何度も書くチャンスを与えてくれたのは、確認したわけではないが、谷口さんだと思える。いちばん思い出深いのは、わたしの退職時に依頼された7回連続の卒業・新入生(若い人)に贈る言葉で、わたしが新聞で書いたものでいちばん(?)反響が大きかったものとなった。そんな谷口さんに慰労の言葉を明日贈ろうと思う。
 4 何度も書いたが、宮脇俊三さんの汽車旅記がすきだ。この人、小説(短編ミステリ)『殺意の風景』(新潮社 1985)を書いて泉鏡花賞をもらっている文人でもあり、筑摩書房の元編集局長でもあった。ただし宮脇さん、厄介なことがある。車嫌い、道路嫌いなことだ。
 車を排気ガス、自然破壊、交通事故(死)、交通渋滞を巻き起こす元凶と見なし、反自動車社会論をイバン・イリッチよろしく主張する。著作に『夢の山岳鉄道』(日本交通公社 1993)まで残した。山岳観光道路を潰して鉄道を走らせるという夢物語だ。それでいて、この人、タクシーにはよく乗る。車を移動手段とみなす素朴な考えでは、車の魅力がよくよくわからない。メガネ、TV、車の高齢社会における意味が分からないと、老後を快適に過ごせないよ。ま、わたしは車を捨てたが。残念!