読書日々 1001

◆200828 読書日々 1001 愚痴はいわない
 読書日々1000回を通過。第1回は、東(直己)さんが推理作家協会賞を受賞したときに当たる。010509のことで、それから茫々というわけではないが、20年以上を閲したことになる。
 通年ならばお盆をすぎると秋風が吹きはじめる。それが今年は暑さが来るのが遅かったのか、暑さも相応に残った。今日の予報は今年最高温ということだ。
 1 雪嶺の隔日コラム、10冊プラス1、ようやく読了・レジメを作成。ずいぶん手間を取ったが、これほどじっくり読み進んだコラムはないだろう。
 そうそう、雪嶺の少ない趣味に、「切手収集」があったことは、先週書いた。それで思い出したことがある。
 第二次世界大戦中、イギリスは独軍の猛攻に、手も足も出ない状況に追い込まれた。その時期、イギリス南部の小都ヘイスティングスが舞台で、警察署長がフォイル警視、原題は「フォイルの戦争」である。戦後は余儀ない事情で、諜報機関(保安局)にスカウトされ、主任務はソ連の諜報活動との戦いである。
 フォイルの調査対象者となった一人が、英の原爆開発研究者で、その家を訪れたとき、博士に「切手収集」の趣味があることを知る。フォイルも、数少ない趣味のなかに、釣りとともに収集趣味がある。
 その物理学者、原爆技術をソ連に漏らそうとする。なぜそのような危険極まりない利敵行為をするのか? とフォイルは質す。米英だけが、たとえソ連のような敵対国といえども、破滅させる攻撃力を独占してもよいのか? というのが博士の意見。フォイルがどう返答したか? 興味深くないだろうか?
 3 雪嶺の切手収集癖から派生した件で、忘れたくないのがある。
 「明治十八年郵便局の開会式」に「内乱」のため局の廃止と切手の発行停止(5種中2種発行)があった、とある。2種は発行され、発売停止になった。そのとき、発行された2種で、既使用の物=実際に使用スタンプのあるものは、利用価値はなくなるが稀少価値が生じる。希少価値、これが切手収集の醍醐味。
 ところでこの明治18年の郵便局開会式とは、朝鮮郵便局(省)開会式のことで、ここを舞台に金玉均のクーデタ(三日天下)が行なわた。ことは事前に清国側に漏れ、もろくも失敗に終わり、金玉均以下クーデタの頭部は清国と対立していた日本に亡命し、福沢諭吉を頼った。詳しくは拙著『福沢諭吉の事件簿』Ⅲに記した。諭吉先生、日清戦争の淵源となるような、なかなか生々しい事件に手を染めていたのだ。こういう事情、雪嶺は承知していたかな?
 4 「愚痴」をいわない。もちろん愚知はある。いわないでおきたくない愚知の一つや二つ、二十や三十はある。だが、いわない。いいたくない。
 いえば、腹に溜っていたものが消化され、それなりにすっきりする。少なくとも宿便はなくなる。こう思うだろう。事実だ。
 しかし、いわない。いいたくない。答えは簡単。自分が惨めになる。それに一ついうと、十も二十もいわなければならなくなる。切りがない。惨めさが募る。惨めの塊になる。
 諭吉は、床に入って、ブツブツ愚痴(めいたこと)をいったそうだ。もちろん誰に聞かせるというわけではない。何をいっているのか、はっきりとはわからない。そんな愚痴の一つに、勝海舟に対する、榎本武揚に対する愚知があった。いうだけでは済まず、書いてしまった。「痩せ我慢の記」だ。 発表する気はなかった。ところが発表してしまった。思うに、諭吉一生の「不覚」であったに違いない。
 「愚知」をいうのはもとより、それを書き残してはいけない。お前はどうかと聞かれても、書き残していないから、のちのち残ることはない。ところが、この「痩せ我慢の記」を、何を血迷ったか、勝と榎本に宛てて送った(そうだ)。わたしは「本気」かしらと疑った。諭吉の「本気」(正気)、既に崩れ出していたのではないのか? そう思える。
 雪嶺、敗戦を機に、軍閥に騙されたを連発する。「正気」かね? 「騙される」、それはある。だがあんたのせいでもある。