◆200821 読書日々 1000 禍福はあざなえる……
昨日、雨模様でひさしぶりに涼しかった。というかむしろ鼻水が出て止まらない体だった。
1 数年来、北海道で「夏」ブリの豊魚が続いている。数年前までは、道民、処理法に不案内で、臭いだの慣れないだので不人気だったが、おそらく、魚の質は変わらないのに、食べ方、商品としての流通が活発になり、マーケットを飾るようになり、食卓でも普通の魚となりつつある。なによりも安い(?)。
結婚して12年間関西方面にいたが、鰤はとりわけ寒鰤は、年に一家一本買いをするのがやっとの高級品であった。正月でも半身で、贅沢の極みだった。血合を含め、さまざまな部位が調理(刺身、鍋、煮、焼、串、漬け、フライ……)の腕試しとなるような、まさに魚の「師」(マスター)にふさわしい王様だった。(北海道では鮭であったが。)ま、調理はもっぱら妻で、わたしは酒の肴として食べるだけだったが。
2 三宅雪嶺は隔日コラム(2枚)を「帝都新聞」に12年にわたり連載している。この人、諭吉と同じように散歩(かなりの遠出)を日課とする以外、(諭吉のように)酒もたしなまず、無趣味といっていいほどの「仕事」人間であった。
ただしコラムを読んでいてわかるのは、最初から最後(敗戦)まで、一貫して変わらない趣味に、切手収集癖があった。収集だけでなく、収集の重要性、文化的かつ経済的価値を見いだそうとするのに、熱中していったといっていい。その癖、病膏肓に近い、と無趣味なわたしなどは驚嘆する。
日本に書物中、世界に誇り得る希少価値なもの(奇書)で、公開図書館必携なのに、①『大日本史』(水戸学)②伊能忠敬『日本沿海輿地全図』4幅③『大日本帝国郵便切手沿革史』であるとし、わずか100頁に満たない③の復刻を何度も何度も強調して止まなかった。それにもまして、日本の貴重な切手が、二束三文で海外に流出している因を、③が国内から流出してなきに等しいからだと愁嘆するのだ。
それで思い起こした。長谷川慶太郎(1927-2019)さんのお宅に最初にお伺いしたときだ。玄関に大きな油絵が飾ってあった。膝を崩したとき、つい聞いてしまった。「財」として購入されたのですか? 長谷川先生、口あんぐりとして、断固、「鑑賞です」といわれた。先生、財テクは自ら慎んでおられた。でも「絵」はどうかな? 「財」じゃないのか、といまでも疑っている。
対するに、雪嶺先生、切手は、まさに文化財にして金やダイヤモンドに劣らない「財」としてあることを強調する。その感覚が日本人にはない、と愁嘆する。
3 雪嶺を読んでいて、突然というか、彷彿というか、思い出した。
「翼賛」にかこつけて「便乗」をかたり、「犬も歩けば棒に当たる」の「棒」は、「禍・福」に通じる、と昭和17年のコラムに出てくる。
何度も何度も青函連絡船に乗った。長い連絡道を、船や汽車の座席を確保するために、おのずとほとんどの人が走る。まだ若かったこともあり、老若男女が競うように走る中、意地でも走るものか、を実行してきた。「便乗」で行きたくないだ。ところがだ。
大学受験の時、頼みもしないのに、母が付いてきた。わたしにとってはお荷物である。
母は、お嬢さん然としていた。切符や宿屋の手配もまったくしない。連絡船に乗るときも、目でうながすのだ。「走りなさい」と。もちろんわたしは走った。まさに「犬」である。結果(かどうかはわからないが)受験に失敗した。
「小糠三合あれば養子に行くな」を雪嶺は示し、秀吉が足利義昭の養子になろうとして、拒まれたことを、「福」とみなす。大河「麒麟がくる」でどうなるかわからないが、明智光秀に義昭から「信長、伐て」の「指令」が来たことは事実であろう。誰彼となく指令を出す.それが(しか)義昭にはない。だが光秀が義昭に呼応したとは思えない。呼応しても「禍」しかない。
秀吉が「将軍」になろうとして、源家の義昭に近づいた。おそらく事実だろう。だが棒に当たらなかった。結果は、福(関白)と出た。