◆200925 読書日々 1005 「重層的非決定」
じっと座っていると、腰から背中が冷たくなってくる。朝の室温23度だから当たり前といえばそうだ。ようやく夏から秋へのはっきりした変わり目を越えたようだ。そう体感する。
といってもわたしの体内温度計は実に曖昧で、体温計でも36度を超えない。
1 最後の吉本隆明論、『重層的非決定 吉本隆明の最終マナー』(言視舎)が、「序」(新稿 40枚)を新たに加えて出版可が出た。この夏の一仕事というか、わたしが思想上最も大きな影響を受けた吉本さんに、その「決算書」をお贈りできた思いがする。
新稿の結構は、「非常時」の思考(狼が来た!)に罹らない、「常態」を失わないための思考方式(マナー)を提示するものだ。
この思考法(常識)を哲学の中心においたのは、デービッド・ヒューム(英 1711-76)である。ヒュームは、いかなる変事を前にしても、彼の思考マナーを変えなかった。(だから、ほとんどの人には、「変人」とみられた。)
わたしの最終「仕事」とみなしているのは『三宅雪嶺 異例の哲学』である。
なにをいうか『日本人の哲学』全5巻の最終巻(2015)で「幕は下りた」と書き、ほどなく『福沢諭吉の事件簿』全3巻を出し、実に往生際が悪い.と断じられても仕方がない。
その雪嶺は、ヒュームの思考を摂取した稀な人だ。ところが、晩年、「非常時」の思考に罹り、「日米戦争やるべし」へと、全言論活動を傾けた。雪嶺は、陸羯南とともに、大日本帝国憲法(立君民主政体)の成立を以て、日本人ははじめて真の日本人になった(なる契機をえた)、と宣した。すごい。
その雪嶺が、民主政体は「平時」の機関で、実に無駄の多い、とくに議会は「おしゃべりの機関」に堕した、と断じ、2/26事件(軍事テロ)を「非常時」の開始、5/15事件(軍部クーデタ)を、そして満州事変を「非常時の非常時」、日支事変から日米開戦を非常時の「解決コース」ととらえる。後戻り不可能な選択思考に陥った。
2 吉本の「重層的非決定」は何を語るか。ほかでもない「後戻り可能」な思考法だ。どんな危機、非常事に陥っても、リターン可能かつ解決可能な道はあるとする、「未来」に開かれた思考をさす。
だから「未曽有」で「前代未聞」な「事変」は存在しないという前提に立ち、解決の道を見いだそうという、ステップ・バイ・ステップでゆく、「開かれた思考法」だ。その思考原理が「多数の決」である。端的にいえば「みんなで渡れば怖くない」であり、「朝令暮改」である。「試行錯誤」でゆく、だ。
何か、無責任でつまらないことをいっているように聞こえるだろう。そうではないということを、三つの事例「コロナを開く」「原発を開く」「国を開く」で、「非常時」がお好きな言説に「否!」を明示しよう。請う、ご期待。
3 あいかわらず、時間が空くと、「タイムトラベル」している。最手軽な時間だ。
宮脇俊三さんの本は、愛読書の類だが、この人、歴史科を出て、卒論に司馬遷の史記を取り上げたそうだ。中央公論のベスト・ロングセラーシリーズ『日本の歴史』『世界の歴史』を企画編集した、その道の達人だ。しかも早期退職し、鉄道旅に新機軸をもたらした。国鉄全線完乗記であり、一筆書24000キロ記等々である。
その宮崎に(お手のものと思える)歴史紀行三冊がある。『徳川家康タイムトラベル』『古代史紀行』『平安鎌倉史紀行』だ。面白いか、といわれると、簡単に肯うことはできないが、(いやないいかたになるが)つまらないわけではない。ただし、鉄道旅のように、不動のレール(正規)がない。著者の鉄道旅の「迷妄」につきあう楽しみは、レールがあるからであって、著者の迷妄それ自体が面白いというわけではない。