2013.1.11
仕事(書評)でコリン・パウエル『リーダーを目指す人の心得』(飛鳥新社 2012.10.13)を読む。読むのが確実に遅くなっているのかな。あるいはこの本が意外と中身が濃いためかな。どちらでもあるのだろう。1937年生まれだから、今年で76歳になる。2005年に国務長官を辞めたのだが、まだばりばりの現代史の現役である。
本書の原題は It Worked for Me で「わたしはこれでうまくいった」である。内容もエピソードもおもしろい。その源はパウエル「個人」にある。
ジャマイカからの移民二世で、黒人、NYのストリート・チルドレンの一人として育ち、進学校に進めず、さしたる望みもないまま(当時)授業料無料のNY市立大学に入り、たまたまみかけた予備役将校訓練課程を履修したのがきっかけで、少尉で米軍に任官し、軍隊の階段を一歩ずつ歩むことになった。20年余で参謀統合本部議長というトップに上り詰め、国務長官になり、大統領選に出馬すれば当選確実といわれながら、「出馬すれば、暗殺される」という妻の忠告に従ってリタイヤーの人生を送っているが、マイ・ウェイ=信念の人である。
パウエルの最大の自責は、第二次湾岸戦争のイラク侵攻(開戦)を表明した安保理での演説であった。イラクサダムフセイン政権が大量破壊兵器をもっている、それを破壊しなければテロが世界中に広がる、それを阻止する「大義」がこの戦争にある、というもので、安保理の賛成と国連決議をえたのだが、「大量破壊兵器」はなかった。CIAの誤った情報と、ミスリードを許した副大統領や国防長官サイドの杜撰な検証によって引き起こされた「誤報」にもとづくものであった。そうであったとしても、パウエル自身は、なぜそれに気づきえなかったのか、勘さえも働かなかったのか、という思いにさいなまれる。
しかしアメリカンだ。パウエルは①「大量破壊兵器がなかったら開戦はなかった」と言い切る。同時に②イラクに侵攻し、サダム政権を打倒しなかったら、よりおぞましい状態が中東で続いていたという。③しかも米軍はサダム政権を倒したあとのことを、「破壊したものに、その破壊後の政権がゆだねられる」という鉄則、占領政策(治安維持と国民の生活安定、再建)をまったく視野の外に置いていたと断じる。サダムをやっつければ、それで終わりとみなしていたも同然で、実際、軍は撤退を開始していた。その無策のつけを米軍は背負い続けなければならない。
それだけではない。かれはその大部分の政治キャリアを、共和党のレーガン、ブッシュ(親子)大統領に仕えたが、第一信条は「フォー・アメリカ」であった。実際、オバマを初戦も再選も支持している。レーガン大統領を敬愛するが、ネオコン(新保守主義)やリバタリアニズム(新自由主義)には賛同しない。フォー・イズムではないのだ。
この本、特異な官僚組織である軍で、もっとも成功した男のリーダー論として読むだけでなく、組織のなかで生きるバランスのいい信条をもった、仕事に厳しいが仕事だけの人間ではなく、全くの無趣味な人間だが自由な時間を家族や仲間と過ごすことの好きな人間で、自分にも他人にも厳しいが、他者の評価を率直に受け入れ、その評価にたいする不満は自分でだまって乗り越えてゆこうとする、一歩一歩の男の人生論としても読むことができる。
今年2度目の読書日記を書いている。寒いのでなかなか寝付かれない。朝起きられない。そんな日が続いている。余った時間を酒とTVで過ごしている。ためにつねに目がしょぼついているしまつだ。
「文芸の哲学」は本居宣長にとりついた。宣長は伊勢の松坂の人だ。木綿商である小津家に生まれたが、「東京物語」の小津安二郎の生家である。伊賀は上野のはずれに住んだ時、なんどか松阪に行く機会もあり、宣長に自然と興味をもった。国学=皇国史観の宣長ではなく、吉川幸次郎『本居宣長』(1977)がでたばかりのころで、漢学の素養を十分身につけた、それを咀嚼した上での「もののあはれ」論であった。かなり熱心に宣長を読んだのではなかったろうか。イギリスのヒューム流の感情の哲学に通じる経験論の持ち主としてだ。その宣長像が変わったのは同じ年に出た小林秀雄の『本居宣長』であった。二著とも『古事記伝』を前面に出しているが読解の方向は逆だった(ように覚えている)。