ああ 『古事記伝』に日は暮れて」

2013.1.18

 東京は「大雪」だったようだ。馬追山も降る。いまも降っている。それ以上に1月も寒い。

『大学ランキング』(朝日新聞出版)から「大学教員の賃金」(2100字)の注文が来た。割とすらすら書けた。「現状」の困難をまず解決しよう、という視点から書いた。ところで大学教授の賃金は高いか? 高い。その平均値は国際比較でも先進国でトップ、アメリカの倍程度ではないだろうか。ただしアメリカでは、大学間格差がものすごく大きいだけでなく、大学内部の個人間格差も大きい。「管理職」は個人契約である。日本と制度的に同じではない。わたしはアメリカ方式がいい、それに習えばいいとは思っていない。ただし基本給と成果給を組み合わせるのは、どこでも同じである。問題はその比率だ。日本は、助教が准教授に、准教授が教授になる時、論文数という数量で「成果」がはかられるだけだ。給料は「生活費」で、研究しようがしまいが変わらない。研究費は大学内・外から自前で獲得しなければならない。自前で獲得せずに、旺盛な研究をしている人は、生活費を削っているのである。

 宣長『古事記伝』(「伝」=注釈)は長大だが、デジタル「雲の筏」(付現代語訳)で読むことができる。大いに助かる。古田武彦『「邪馬台国」はなかった』(1971)は衝撃を与えた本だ。わけても①魏志倭人伝で「邪馬台国」の「臺」は「壹(一)」(旧字)である。よって「邪馬一国」なのだ。②誤記だ、著者の不見識だ、等々を理由に資料に勝手に改変を加えてはならない。ありのままを読むと真実が見えてくる。このことによってだった。宣長も古田と同じように、『古事記』の記述をそのまま「真」として、ありのままに解釈する、という手法を徹底(?)している。

 わたしは『古事記』を偽書だとみなす。もちろんわたしの独創でもなんでもない。『日本書紀』(日本紀)成立より100年後の平安初期に現れたものである。その「神代」は書紀よりはるかに詳しいが、書紀と相前後してなった『風土記』(内容は書紀の記述に反映されていない)等を繰り入れてなったものだからだ。書紀にないものを意識的に盛り込もう、これが古事記の思いである。また神武にはじまる天皇記は「系譜」が主たる内容で、その他はほとんど書紀の簡約版といっていい。

 ところが古事記をまったき真とみなし、それをありのままに解釈することこそが必要なのだとみなす宣長の執着心が、『古事記伝』を書かせ、類例のない古事記本文の詳しい解釈を可能にした、といっていい。しかも私たちが読んでいる古事記は、漢文ではない。宣長が「翻訳」した和文である。その和文こそがまだ「からごころ」(漢文)に汚染されない日本原生の「やまとごころ」を表現するというのだ。宣長が行った古事記の「和訳」は大変な作業である。しかし宣長は古事記が真正の日本開闢の歴史をつづるものであると見なし、それは漢文で書かれているがまだ文字のなかった純正やまとごころを表現する和文に改変できるとしたのである。

 9世紀の初め、ようやく漢文・漢語から自立した和文・和語での表現が現れはじめる。この時期に古事記が現れた。①(文字をもたない)和文が漢文(漢語)で表現される。歴史的な推移だ。②古事記の筆者は和臭の漢文で古事記を表現する。③宣長は和臭の漢文を『源氏』等の和文をもとに和訳する。こういう推論が成り立つのではあるまいか。

 こんなことを考えているが、なかなか結論めいたものが見えてこない。といっても宣長の「もののあはれ」(を知る論)は、源氏である。そのもののあはれとやまとごころとがどうつながるのか、これも見所になる。

 折口信夫は『古事記』偽書説を主張し、宣長は結局源氏に依拠して「もののあはれ」を押し立てたが、源氏のもののあはれはヤワだけではない「激しさ」をもち、色好みも「政治ドラマ」であるという理解を欠かせることはできないという。