読書日々 1032

◆210402 読書日々 1032 はじめて「印税」をもらう
 今日も暖かい。気分の上では、桜が咲いている。
3 定職は得たが、地方の公立短大であり、給与はアルバイト料(総額)の半分にも満たなかった。それでも、定収入である、きちんきちんと入ってくる。来年の生活計画が立つ、と妻には喜びかつ安心された。
 結婚当初、妻も友人の世話で、尼崎にある工場の事務で働き出した。共稼ぎである。給料はおどろくほど少なかった。だが長男が生れるとき、専業でゆくか、共働きでゆくか、と二択を提案したところ、専業でゆく、との回答を得て、芯からほっとした。わたしが働くのは、致し方ないというより、当然であると思えた。働けばいいのだろう、働くさ、であった。
 研究時間の確保は、勤務校が低給のため、従来の非常勤講師等をそのまま続行しなければならなくなり、さらに域内に住むようにとの通達があり、通勤だけでも、大阪方面へアルバイトで週3日往復5時間余、朝6時に出て、夜12時帰宅、それに勤務校(昼夜)に2日出勤であった。
 もっとも大学である。夏、冬、春、およそ1年の半分は、実質休みだ。そこで研究に全精力を割くことが可能になる。それに書きたくても発表場所がない、が35歳から基本的になくなった。夏およそ実質2カ月、妻と子ども3人を妻の実家に返し(喜んで帰ってもらい)、終日、自宅にこもって書くことができるのだ。何かわたしの耳奥で、トルコ行進曲が響いていたのではなかったろうか。
4 『マルクス・法哲学批判序説』(新評論 1978 303頁)は、36歳の作で、これがわたしの2番目の研究的著書である。同僚の伊藤教授の斡旋で、新評論社を訪れたときのことは、忘れがたい。建物の半身がバッサリ切り取られ、欠損部をブルーシートが掩っていた。
 『出版ニュース』(1104号 1978.3.16)に次のような自注を書いた。
〈マルクスが、法律学徒から出発したこと、ヘーゲル法哲学の受容後、それの批判的修正をへて経済学批判へと進出し、はじめて史的唯物論の根本思想に到達したことは、つとに知られているところです。マルクスにとって、法哲学批判とは、たんに通過的作業としてとりあつかわれるのがつねです。
 本書は、マルクスの法哲学批判の作業が生涯を一貫する、しかも、史的唯物論の基本構想を成立させる根本作業であることを確定することに、意を注ぎました。法哲学とは、古典的ブルジョア社会=歴史理論にほかならず、その批判はとりもなおさず、この理論とマルクス主義の社会=歴史理論を根本的に区別する指標を確定することにほかなりません。しかもマルクスの法哲学批判は、連続した理論構成においてではなく、各時期によって区別と関連をもつ理論形成をたどりました。前編は、初期的形態を、後編は、法哲学批判のマルクスに固有な基本問題に中心をおき、マルクスの理論形成の固有性を明らかにしようとしました。
 本書は、法哲学を経済学を中心軸とする古典的法哲学とみなす立場から、史的唯物論の基本概念を、とりわけ再生産論を基底に展開しようとします。経済的諸関係の再生はいかにして可能か、この再生産を保証する諸条件は何か、という問題性において、人間社会生活過程の総体を概念把握するためのいわば前提をなす試みです。以上の試みを、古典的法哲学の集成たるヘーゲル法哲学批判との連関で、とりわけ詳論しました。この意味で、本書は、前著『ヘーゲル「法哲学」研究序論』の続行作業ともいえます。(B6判・302頁・2000円 新評論)〉
 今から考えると、はずかしさに顔を掩いたくなるような文ですが、当時はかなり自信があったのです。ただし、自分の間違いや未熟を含めて、何も隠す必要はない、問題は間違いを「清算」できるかどうかである。これがわたしの今もって変わらない気持ちだ。
5 『ヘーゲル「法哲学」批判序論』は、幸いにも4刷りになりました。刷り部数は少なかったものの、はじめて手にした「印税」です。有り得ないほどに「ありがたい」、と思えました。それに、印税は、どんなささやかでも、貴重な収入源でもあります。(つづく)