◆210409 読書日々 1033 本格「書斎」をもつ
1 わたしは、4人姉妹の真ん中で、物心ついたときには、「個室」を獲得できた。ただし、「表」玄関の2畳に満たない空間(通路)だ。それからずーっと、ときに実家の12畳、あるいは下宿先の6~2畳と変わったが、すべて個室で、そこが生活=衣・食・住かつ勉強(研究)する場であった。
司馬遼太郎やドラッカーのように、図書館が「学校」ではならなかった。つまりは、他人の目にさらされる習慣をもつことがなかったからで、大学4年間、2畳の窓のない真っ暗の下宿(間借り)先でも、苦にならなかった。というか、集中できた。
定職をもって、発表の場を得、ものを書くようになり、四六時中時間に追われる生活がはじまると、過疎地に住んでいることも加わって、3人目の子を含む家族のなかで、集中して読む・考える・書くことが難しくなった。それで、集合住宅が予想以上に高く売れたこともあって、妻が別棟に書斎を建てることを承諾してくれた。
2 ただし書斎とは何か。「書物を置く+考え・書く」空間である。書物を必要とせず、書かない人にとっては、無用のものだ。だが、
〈書斎は特別のものではなく、二一世紀に生きる人間なら、日常的に必要とする付随品である、と思うのです。二一世紀に生きる、などとずいぶん大げさな言い方だと思うでしょう。でも、二一世紀はすぐ来るという意味ではなく、すでに二一世紀の現実をわたしたちは生き始めている、という意味でいっているのです。
書斎も研究室も、スタディです。そういえば、「スタディ」という名前の勉強机一式がありました。ワープロの「書院」もスタディですね。書斎や研究室といっても、特別のもの、「贅沢」を指す必要はありません。要するに、勉強したり、研究する場所のことです。ですから、勉強や研究の必要のない人に、書斎は必要ではないでしょうね。
逆に、勉強や研究をする人は、どんなスタイルのものにしろ、書斎という仕事場は必要になります。
ところが、これまで長い間、勉強や研究は、特殊な人を除いて、学校を出るまで、と考えられてきました。学校を出たら、勉強や研究を含む「仕事」は、会社で、ということでした。家庭には、家事という仕事はありましたが、それ以外の仕事は、特殊な職業に人は別として、家庭に持ち込まない、というのがサラリーマンの鉄則でした。しかし、そういう鉄則は、崩れだした、あるいは、半ば崩れてしまっている、その傾向はますます大きくなる、というのが現在と近未来の社会なのだ、というのが私の考えです。〉(拙著『研究的生活』東洋経済新報社 1999)
3 〈二階建てで、総面積六坪、デザイナーの妹の設計で、同僚の佐武先生の斡旋になる大工さんが、これ以上安くできないという価格で、しかも注文どおりのものを造ってくれたのです。三五歳から四一歳まで、最もエネルギーのある時代に、このスタディで勉強のかぎりを尽くすことができたのは、いまから考えても、人生、最上の幸運だと思います。
郷里に戻ってから、二度ほど上野に行ったことがあります。もう他人の手になった書斎が、昔のまま存在するのを目にしたとき、ものに感動しない私もさすがにじーんときました。〉(同上)
1980年代、「月刊鷲田小彌太」という揶揄をとばされるようになったのも、この書斎あればこそでした。
4 ですが、1980年代の後半に入り、ワープロが普及し、パソコンを用いた思考・執筆・送稿が主流となって行きます。はじめてワープロで書いた「原稿」が、『大学教授になる方法』(青弓社 1991)で、初めてのベストセラーになります。
しかし、この本の前に、初期マルクスの諸研究の連作、『哲学史の可能性』(新泉社)『哲学の構想と現実 マルクスの場合』(白水社)をはじめとするマルクス研究書を出し続けます。そして、『昭和思想史60年』(三一書房)『吉本隆明論』(同)『天皇論』(同)の三部作を書きあげた。(つづく)