◆130510 読書日々 619
年をとると船旅をしたくなる。といってもあまり長いのはやはりいやだね。豪華なのもどうかと思う
『日本人の哲学Ⅱ 文芸の哲学』は、一見して、遅々として進まないように思える。しかし「漢詩文」で菅原道真を、そして「雑」で今昔物語、伊勢物語、古事記、日本霊異記、風土記を書けば、終わる。2節、5項である。もちろん、整理・統一や追補等で、まだまだ時間がかかるものの、あとおよそ30枚で所期の目標に達する。といっても読むものがまだ残っているが。
5/24~26、伊豆七島の神津島にゆく。船旅だ。ひさしぶりの長旅(?)かな。前後あわせれば4泊5日である。
船旅といえば、敦賀あるいは舞鶴から小樽までの東日本海フェリー航路をまず最初に思い出す。帰省の旅だ。学生時代、一度だけ冬に乗ったことがある。汽車で敦賀まで行って、そこから「貨物船」(?)に乗り込んだ。乗客は数えるほどしかいない。とにかく運賃が安かった。しかし家族移動となると、簡単ではない。だがようやく定職にありついて伊賀に住んでいたときで、中古だったが車を買うことができた。それを駆って、伊賀を抜けて甲賀へ、琵琶湖東岸を経て敦賀・舞鶴に出ることができる。ほとんどまっすぐに北上出来るのだ。
フェリーの旅の最大の特長は、運賃が安かったことだ。車1台+1室(定員2人)代を払うと、親子5人が楽に寝起き出来る。ただし夜遅く出航する船が小樽に着くのは3日目の朝である。その間の食事代が馬鹿にならなかった。それで、クーラ箱に野菜やパン等の食事を詰め込み、およそ6食x5人=30食分を浮かすことができる。日本海は冬はものすごく揺れるが、夏は総じて好天に恵まれた。子供たちは小さく、客船の中を走り回ってはしゃぐので、とても楽しい旅に思えたが、どうだっただろうか。夫婦にとっては楽な記憶に残る旅であったように思える。
倉橋由美子『あたりまえのこと』(朝日新聞社 2001)を引っ張り出してきて再読した。独特のというか正常の小説観の持ち主で、貧乏をネタに「私事」や「私情」やらを書きちらして「純文学」などといっている脳天気な小説書きが一読したら、卒倒するようなことを書いている。世の小説好きを嫌いにさせるような倉橋の議論を楽しみたいからではなく、『源氏』や『枕草子』の「秘密」をかぎ分けたいと思うからである。というのも、どう見ても『枕草子』のエッセイ・評論部分の清少納言は、いい子ぶりっこで、分析力に欠けており、一寸だけ苦労した経験のある人間=「中年」女の感想と、その見事なまでの季節感とが調和しないからである。もっとも見事な季節感といったが、どれも清少納言が「発見」あるいは「再発見」したものだとはいえ、際だって特異なものではない。反対に十分すぎるほど切り絵タイプの絵画である。日本人の平均的な情感を今日まで決定づけたような「季語」の「内容」とでもいうべきものである。倉橋は、『枕草子』がすさまじきもの、にくきもの、かたはらいきもの、あさましいもの等々で指定している「言葉」は、すべて「劣悪」を示すのであって、勧善懲悪が示す「悪」(邪悪)ではない、と書いている。なるほど、と思える。
民主だけでなく維新・みんなを含む野党が一致して、川口環境委員会委員長(参議院)を解任に票を投じた。「委員会出席に遅延し、委員会が流れた」という形式論だけによってだ。民主主義で手続きの公正さは重要だ。だがそれは原則で、「公正さ」が損なわれたからといって恣意的な理由や特別の損害がないかぎり、問答無用で解任などというのは、児戯に等しい。内容を問わずことを決定したらどうなるだろうか。現在議論に上がっている憲法96条を「内容」の議論抜きに、改正を発議し、衆参、3分の2で通そうとしたらどうなるだろうか。改憲反対派は窮地に陥るのではないだろうか。
ところで96条改正案を「裏口入学」といった評者がいた。わたし自身は改憲派だが、改憲の入り口のハードルを低くしてからことに望むのは、それが「容易」あるいは「安易」な行き方であるだけに、かえって劣悪な手段に思えてならない。なぜ堂々と、衆参で3/2以上を固めて、改憲を実現しようとしないのか。現憲法は不備だらけだ。改正は必要だ。(とはいえ「改憲」といっても、改憲派の手でより劣悪な「憲法」がうまれることがある。)しかし「裏口入学」は現状にあわせて憲法解釈を変えるよりもっと劣悪に思える。(ちなみに「私学助成金」などは「憲法」違反のケースが続々と出るのに、何の障害もないかのように実施されている。)川口委員長を解任した劣悪・愚直さと基本は同じだ。緊急必要時、「法」を一時停止する「緊急待避」を視野に置かない愚直さである。しかもどちらも「ためにする」やり方だ。