読書日々 620

◆130517 読書日々 620
9000枚の超長編、そんな作品を読みたくなった。評したくなった
 仕事(書評)で『加賀乙彦 自伝』(ホーム社 集英社発売 13.3.10)を読んだ。加賀さんの小説は初期の作品「象」や「くさびら譚」等を読んだ憶えがある。30年前、加賀乙彦短編全集(潮出版)を編集の背戸さんからいただいたときにだ。わたしの読書歴には贈呈本の類いがある。本は買う、これをマナーにしてきたが、読みたいと思って買った本ではなくとも手元にくると、「もったいない」という気持ちやこの際だから「何か新しいものに当たる」かもしれないという卑しい気持ちがあってだ。前記二つの作品は大江健三郎張りの、遅れて文学に参入した「旧新人」作品のように思えた。長編『フランドルの冬』は理由はなぜか忘れてしまったが辻邦生の「亜流」かなと思えて敬して遠ざけた。加賀作品とはいい出会いではなかったわけだ。
 60年代から70年代、マルクス主義哲学者アルチュセールの『マルクスのために』『資本論を読む』『レーニンと哲学』等の著作に大きな影響というか衝撃を受けた。いわゆる構造主義哲学である。「構造主義」ほど「誤解」というか「悪意」をもって迎えられ、忘れ去られたたかに見えて、じっさいには広く深く浸透した思考=「理論」はないように思われる。わたしは『現代思想 1970~2001』(潮出版 1996)で、構造主義「以前」と「以降」という定式で現代思想を展開したが、スピノザ、とりわけヘーゲル、マルクスはもとより、広松渉も吉本隆明も構造主義者の正統とみなしたし、現在もその考えは変わらない。
 加賀さんが精神科医であることは知っていた。しかし小説家になる前に、なってからも、一流の精神科医であるなどとは知らなかった。それに戦後ずーっと、精神病治療が隔離・監禁・電気ショック等の「治療」ととうてい呼ぶことのできないような現実を目の当たりにしていたので、精神科医を医者(科学・技術者)としてまったく信用出来なかった。
 ところが『自伝』を一読して、加賀さんが統合失調症(当時は分裂病)の治療薬(クロルプロマジン)の登場(1952年)に注目し、その最先端であったフランスに留学して精神病治療を学んでいたことを知った。それにラカン、フーコ等のフランス現代思想に名を残す精神分析派の構造主義者たちを学んできたことに驚かされた。そんなことはまったく知らなかったばかりか、現代思想さらには構造主義哲学に決定的な影響を与えたメルロ=ポンティ『知覚の現象学』(みすず書房 1967)の訳者の一人、小木貞孝が加賀さんの本名だなんて、まったく気づかずにきた。無知は誰であれ免れえないものの、わたしより一回り年上の加賀さんが、わたしがひとり手探りで確かめていた構造主義哲学の周辺を、ほぼ同じ時期に歩き回っていたのだった。
 加賀さんは25年かけて、『永遠の都』『雲の都』という、2・26事件(1936年)から阪神淡路大震災(1995年1月17日)までの自伝的小説を2012年に刊行した。全部あわせると9000枚に達する超長編である。昭和史を縦断するこの長編を読んでみたい、というのが『自伝』を読んだ最大の読後感である。ただし過剰な期待は、小説にかぎらず禁物である。
 三田誠広『天神 菅原道真』(学研M文庫 2001)を読んだ。哲学者、思想家、学者を扱う場合、小説を読むことにしている。三田は『僕って何』(1977年)で芥川賞をとった大阪出身の小説家である。早稲田大学で長い間教鞭をとってもきた。菅原家はいわゆる名家ではない。だが祖父の清公が、最澄や空海と同船して唐に渡り、文章博士(定員二人)になり、最終的には従三位・参議にまで上った学者・官僚である。父も文章博士、そして道真は宇多帝の信任篤く、藤原一族に抗して最後は従二位・右大臣まで上った英才官僚である。といっても「伝説」を取り払い、その書いたものを読めば、「義」を前面に押し出す法家(「道徳よりも法律を重んじ、礼楽を排して刑名を主とし、これを行う政治を帝王の道とするもの」日本国語大辞典)=文人官僚である。儒学者で、鴻儒かもしれないが「仁」に欠けている。政治的にも人間関係でも孤立したのは、道真を蹴落とそうとした周囲のせいというより、本人のせいである。それに帝を後ろ盾にする権威主義が加わった。三田が書かなかった道真である。道真を読んでいると新井白石の名が浮かんだ。