読書日々 1108

◆220916 読書日々 1108 「下町」慕情
 いよいよというか、ようやくというべきか、拙著『日本人の哲学』(全5巻全10部 3700枚余)の2刷(改定)作業に入った。といっても、初版後、なんども事実上の再読(改定)をやってきた。これは物書きの習性というべきで、機会あるごとに、自作の再読三読を、全体でも、個々的にもやってきたように思える。
 1 エリザベス2世(Elizabeth the Second 1926~2022年9月8)が崩御された。在位70年(1952~2022)であった。昭和天皇よりわずかなりと長かったのだから、まずはご立派です、ご苦労さんというべきだろう。
 19世紀末は、ヴィクトリア女王期に当たり、大英帝国の最強期に当っていた。ところが、第1次・2次世界大戦を挟んで、イギリスは米ソの後塵を拝し、1950年代は、大英帝国の凋落期に当っていた。しかも英王室は、相も変わらぬ乱痴気騒ぎであった。エリザベスには、まともな性向の子供はなきがごときであった。エッ。みんな育て方が悪かったのさ、という。
 ミステリーの女王と言われた夏樹静子(1938年~2016)に、『わが郷愁のマリアンヌ』(角川書店 1986 上下)がある。夏樹は慶大英文出身で、エミリー・ブロンデ『嵐が丘』(Wuthering Heights 1847)の愛読・研究者であった。この作品を下敷きにして、物語は、日本の貿易商(男)が、渡英し、倒産寸前のイギリスの陶器製造の女社長と運命的出会いを果たす、ミステリー仕立ての大ロマンスだ。この作品に描かれたイングランド北部の、不毛の原野(ヴァザリング・ハイツ)さながら、産業の衰退に喘いで、日本の商社の援助救済をまっている、金と恋と殺人の葛藤さながらであった。そう。まだ鉄の女サッチャーが出てこなかったのだね。
 夏樹の作品は、2冊文庫解説を書いたり、『わが……』は書評した機縁で、夏樹作品の愛読者(?)になった。というより、TVの、夏樹ミステリーのフアンである。
 2 吉村昭は、日暮里生(昭2)れ・育ちである。その著『東京の下町』(文藝春秋 昭60)に、日暮里の戦前の情景が活写されている。ところで「下町」とは、「城下町」のことで、日暮里は江戸城廓「外」だから、正しくは、「下町」ではなく、「場末」である、と書いている。正しくは、「町外」だろう。
 ただし、辞書には、「下町」=〈低い所にある市街。商人・職人などの多く住んでいる町。東京では、台東区・千代田区・中央区から隅田川以東にわたる地域をいう。しものまち。「―情緒」山の手上町かみまち。「上町」〉(広辞苑)とある。明解国語辞典でも同じだ。「意」外」というより、違うだろう。
 吉村の『東京の下町』は、山本七平『昭和東京ものがたり』(全2巻 読売新聞社 1990 日経ビジネス人文庫)とともに、わたしの愛読書である。吉村の方は、「愛蔵本」(?)でももっており、特別親しんでいる。この本には、永田力の「繪」が付いており、貴重というか、「下町」の情景がよくよく現れている。
 時代劇は、大奥にかぎらず、絢爛豪華というか、美麗である。しかし、江戸期はもちろん、敗戦後の10年位まで、田舎だけでなく都会も、臭いがきつく、十分に汚かった。全体が暗かったので目立たなかった。永田の繪はその雰囲気をうまく捉えている。
 3 私も、厚別遠景を中心に、自分が生まれ育った、各地(平岸・美園・白石等、大阪、石橋、茨木、伊賀神戸、加賀団体、新野幌等々)を点描したく思っているが、つい力が入ってしまって、うまくゆかない。というか、スムースにキイが進まない。何か、メソッドを決めて描けば、と思うが、自由闊達にはゆかないのが、もどかしいね。
 それでも、自分の胸のうちでは、点描で、ずいぶんな量を書いてきたような気がする。そうか、吉村さんのように、わたしには愛郷心のようなものが欠けているのだろう。