読書日々 1131

◆230224 読書日々 1131  荒巻さんにSF大賞が
 ずいぶん夜明けが早まってきた。暗くなるのが遅くなっている。寒いのはあいかわらずだが、それでも雪質がずいぶん変わった。今日などベトベトだそうな。

 1 荒巻義雄(1933~)さんが、『SFする思考  荒巻義雄評論集成』(202211 小鳥遊(たかなし)書房 A5 832頁 5400円税抜)で、先週、第43回日本SF大賞を受賞しました。
 私は残念ながら未読ですが、荒俣さんの『紺碧の艦隊』シリーズほかの愛読者だったので、引き続き頑張っておられることに、賛嘆の意をまず表したいと思います。
 荒巻さんとは、懇意ではなかったものの、その「経営」されている画廊(「札幌時計台ギャラリー」)で、何度かお会いしたことがあった。話題は絵画ではなく、きまって哲学プロパーのことであった。
 SF(を主戦場とする)作家には、ジャンルを超えて思考と創作に没頭する熱度の高い作家が多く存在するが、荒巻さんもそんな一人で、2012年、 詩集『骸骨半島』で北海道新聞文学賞(詩部門)を受賞することがあった。そして、今回の受賞だ。
 しかし荒巻さんはわたしより10ほど年上で、現在もなお書きまくっているという事情に疎かったため、なにか暗闇から殴られたような衝撃を受けた。
 荒巻さんは、お会いすると息せき切ったように話される方で、80~90年代に主流となった構造主義や日本の代表的哲学者廣松渉さんの所説などについて、ポンポンと問いを発し、自説を披瀝するのを常とした。
 私は『北方文芸』の編集委員を8年間もやったのに、北海道の「文壇」人との付合いはほとんどかったので、むしろ荒巻さんとの会話は、よほそ刺激的だった。
 2 N響の主席指揮者がファビオ・ルイージに代った。隆とした男前である。などというと、音楽には関係あるまいということになるだろうが、そんなこともない。日本の指揮者は、そろいもそろって、隆としたところがない、といったら、「隆」とは何かと問われたら、簡単ではないが、ま、押し出しがいい、もっと単純化したら、妙に溜ったところがない、といえばいいか。スマートさね。ストレートとは違う。
 ルイージに期待するところは、自分の好みに拘らず、好きなようにおやりといいたい。それに、大事なのは、若手登用もいいが、「古」手を、海外に移住した奏者を、じゃんじゃん逆輸入して欲しいね。「賞」を貰った偉才ばかりでなく、よくよくスカウト網を利用して、ジャンルを問わず、偉才を拾い出して欲しいね。ま、単純にいえば、我儘やってほしいね。ただし、奏者を大事に、報酬の面でも、ね。
 わたしのような年寄りの楽しみの一つは、N響を繰り返し、繰り返し聞くことにある。なにはなくともN響だね。