読書日々 637

◆130913 読書日々 637
「国民主権」などという正体不明の概念がまかり通っている
 9/8 『日本人の哲学2 文芸の哲学』のゲラがドサリと音を立てて届いた。本文だけで400頁。ゆっくり時間をかけて校正するつもりだが、はかどらない。平行して、泥縄式に(?)山路愛山や陸羯南の緒論を読んでいる。
 9/9 二松学舎の江藤さんに頼まれた「西洋哲学と論語」(30枚)のゲラが送られてきた。校正して11日まで届くようにという注文が付いている。3月締めで原稿を送ったのだから、乱暴きわまりないやりかただが、昼までに終えて、返送した。このテーマ、気に入っているので、いずれ長いので詳論してみたい。ウォーミングアップというところか。
 9/11 先日送ってきた自由国民社の「憲法改正」に関する設問=アンケートに答えて800字をメールで送った。朝飯前ではなく、昼飯前のやり方で、これも乱暴だが、明治憲法を中川八洋さんの著書を手引きに勉強中なのが、役に立った。それにしても自民党の憲法改正案はいただけない。
 わたしのアンケートに対する回答文はおおよそ以下の通りである。
1 現憲法の評価すべき最大点は、かろうじて第1章に「天皇」を定めたことだ。
 ただしその主意が適正でない。皇統(=皇室・皇位伝統)は日本建国以来の国体(憲法)のアイデンティティ(ID)であり、現行憲法がそれに従わなければならない「憲法原理」であって、あるべき日本国憲法に欠かすことができない「原理」(はじめ)なのだ。現憲法にも日本国民にも、この不動の歴史事実が忘れられている。
2 現憲法の最大難点は、その全体を貫く「国民主権」という思考だ。もとより「天皇主権」は憲法になじまないし、明治憲法にも存在しない概念である。
 重要なのは、「法の支配」と「法治主義」(法治国家)を混同しないことだ。「法」と「法律」は異なる。「国民」も「天皇」も「法の支配」の下にあるので、日本に連綿と続く「法」(コモンロー)とは端的にいえば「皇統」のほかなく、現憲法は「立法」(法律)にすぎない。
3 現憲法でも「平等」は「法の下での平等」と規定=限定されている。それが「真の平等」「実質的平等」の実現をめざす前提である、などと拡張解釈されてはならない。私有財産制を基礎とする「基本的人権」と、私有財産制を否定する「平等主義」を混同してはならない。二つは別物なのだ。前者は「自由」を保証する。
4 第2章、第9条に明記すべきは、自国と自国領土の防衛が国民の「義務と権利」であり、防衛のために国軍を保持するのが独立国として当然であるという思考だ。
5 付言すれば、以上の点だけでも、自民党の憲法改正案は憲法の体をなしていない。この党には今のところ改正をまかすことはできない。改悪を招きかねない懸念大である。
6 わたしは憲法改正論者だが、日本の憲法・政治学者、政治家、ジャーナリズムならびに政治家の無思想現状を考えると、憲法ならびに皇室典範改正は改悪に結果する危険がある。
 9/12 日本が敗戦した前後に映画化された、ラズボーン主演の「シャーロック・ホームズ」のボックス(9作品収録)のDVDが届いた。およそ2万円である。手元に同じラズボーンの「殺しのドレス」がある。500円だ。この価格差の違いはどこにあるか。映像を見れば歴然とする。まったく別作品に思えるほど、解像度か異なる。
 この日、娘婿が暑い東京からやってきた。1週間の休暇が取れたそうだ。しきりに北海道で飲むサッポロビールはうまいという。今年の札幌も暑かった。だが二度ほど真夏の、40度近い東京に行ったが、札幌なぞ物の数ではない。じゃあ、ビールはうまいか。うまいが、あまりに暑くて、冷たすぎるのだ。涼風が吹きはじめたこのごろ、焼酎(泡盛)のお湯割りがうまくなった。