◆131025 読書日々 643
小川哲生『生涯一編集者』を読む
日本人の哲学3『政治の哲学』は簡略を心がけてきた。しかし筆が進まない。(ま、キイをたたいているんですが。いいでしょう。)明治維新になって「略」を抑えようとした。すぐに筆先が動き出した。昨日は14枚書けたのだ。「略」を止めたとはいえ、内容はコンサイスである。ずいぶんな量に思える。
生理事情があって寝転んで本を読まなければならない場合がある。日に一度、二日に一度の間隔だ。小川哲生『生涯一編集者』(言視舎 130228)を再読(?)した。小川さんには「わたしはこんな本を作ってきた」という副題をもつ『編集者=小川哲生の本』(言視舎 110531)という大きな本がある。小川さんは46年生まれだからわたしより年下だ。お会いしたことはない。だが「伝説」の編集者だ。「本」を作りたいから出版社に就職し、編集者になった。どんな本か。学生時代一読、ただちに影響を受けた吉本隆明『自立の思想的拠点』(1966)がモデルである。(わたしの最初の「出版物」は「幻想論の理論的支柱ーー吉本隆明批判」1969 『唯物論』第1集掲載であった。『自立』を「批判」したものの吉本の「捕囚」になった。)小川さんがこの本でピックアップしている著者たちのうち、吉本さんの本はもちろん、わたしより若い村瀬学、小浜逸郎さんたちの本から多くを学んできた。
小川さんが最初に就職した大和書房をやめてから編集した本のリストが『わたしはこんな本』に並んでいる。1990~2010年までの20年間だ。その本たちの一つ一つに付した編集者からの「プレス・リリース」、B4一枚の「著者の思いに伴奏」しようという手製の「解説」記録である。わたしが小川さんが作った本にどれほどお世話になったのか、このリストアップされた本を見れば、一目瞭然だ。しかし小川さん=編集者は、およそわたしと正反対の方を向いている人にちがいないと思える。
コミュニストになったとき(もちろん自分で主義者になると決意した結果だ)、上の方から思想がないといわれた。しばらくするとまわりから「論理」がないといわれるようになった。思想とはマルクス主義思想体系のことである。「論理」とは思想体系を操る「理屈」(reson)のことらしい。かなりたってから若手から「理念」(idea)がなく、「理論」(theory)がないといわれた。これは思想家を自任する人間にとっては致命的だろう。
小川さんの本を読んでいて気づくのは、小川さんがとりあげ強くおす著者たちには、熱い想い(思想)があり、それを支える理論(体系)があり、その理論を展開する論理(議論)があるように思える。そんなようなものはお前(鷲田)にないのかといわれれば、「思想」(thought)よりも「思考」(thinking)、体系(system)よりも臓器(organ)、議論(argument)や摂理(reasoning)よりも納得(consent)を心がけてきた。
吉本さんに思想があり、理論があり、論理がある。しかし吉本さんには、柳田国男、さらには折口信夫のような、「論」を超えた「秘術」(技術の極点)としかいえないようなマジックがあり、それがわたしを納得させる。もちろんお前にそんなマジックがあるのか、といわれれば、ないと答えなければならないが、小川さんの本を読んでいると正反対からやってくるのだろうが「秘」を好む生理があるように感じられる。
ところがわたしには菅原道真のような「私憤」や「不満」をぶちまける「言説」を吐くことができない。何か恥ずかしいことのように思えるのだ。いちど同僚に愚痴めいたことをいいかけて、はっとしたことがあった。おまえはさしたる愚痴など吐く必要がないていどに恵まれてきたのだ。こう言われれば肯わざるをえないだろう。もっとも幸運を感じるのは、不運あってのことなんだよ、と反論したくなるがね。
10/22 中村久子さんと会って、飲んだ。この人、わたしの母が倒れた年になっている。恐ろしいことだ。もちろわたし自身を含んでのことだが。