読書日々 654

◆140110 読書日々 654
惜櫟荘、もう一つの岩波物語
 佐伯泰英『居眠り磐根 江戸双紙』41~45(140109)まで、年末から1/8までに読んだ。主人公の剣客坂崎磐根と田沼意次意知親子との戦いは、いよいよ最終段階に入ってきた。といっても大団円を迎えるのは、50巻だから、あと5巻(も)ある。1~45巻まで12年(もorしか)かかっている。
 その佐伯が、熱海にある「惜櫟荘」(せきれきそう)を再建した番組が放映(1/2BS朝日)された。「櫟(くぬぎ)」というどこにでも生えている樹を「惜しむ」というかなり気取った名前だが、1941年9月に建てられた岩波茂雄の別荘で、佐伯が求めて(可能なかぎり)元通りに建て直したものだ。30坪の敷地だが、映像で見る限りものすごく手間暇がかかった、費用がかさんだ様子がよくわかる。
 作家が住んだ建物(の跡)を尋ねたり、調べたりする趣味はない。岩波は出版屋だからなおのこと興味は無い。しかし金に糸目(?)をつけずに岩波が建てたこの別荘は、わたしには興味深かった。
 かつてといってもせいぜい1970年代までのことだが、岩波文庫に入るとその本は半永久的に残るという証をえたという評判があった。山本夏彦に『私の岩波物語』(文藝春秋 1994)という出版社物語がある。岩波書店は表題になっているが、9~36頁までだ。この物語はこんな言葉ではじまる。
〈私はこの長い物語を「私の岩波物語」から始めたい。岩波茂雄(明治十四年生、昭和二十一年没)はまじめな人、正義の人として定評がある。私はまじめな人、正義の人ほど始末におえないものはないと思っている。人は困れば何を売っても許されるが、正義だけは売ってはならない、正義は人を汚すと聖書にある。
 いまマス・コミュニケーションの信用のないものはヘアで売るが、信用のあるものは正義を売る。一流新聞は正義を売ってはじめて一流新聞である。テレビは新聞のまねっ子だから、同じものを画面と音声で売る。〉
 岩波の創業者茂雄は、夏目漱石全集を売り出して「成功」のきっかけをつかみ、晩年小さいながらも金に飽かした別荘を建てた。ちょうど正月に家族とともに来ていた末娘が、4年しか住まないでもったいない、といったが、わたしの感想では4年も住んで作家や文化人に見せびらかすことができて、ご愁傷様といいたいところだ。
 山本夏彦の岩波評価は、「戦後の岩波の歴史はミスリードの歴史」であり「国語の破壊者としての岩波」である。賛成だ。
 といってもわたしも物書きの端くれである。岩波から注文があれば大小にかかわらず書いてきた。全部あわせると250枚になるから、けっして少ないわけではないだろう。わたしも「国語の破壊者」の一人を演じているといわれることがある。だから岩波のことを「とやかくはいえない」などとは思わないが。
 『経済の哲学』で高橋亀吉を書いた。高橋の名をはじめて知ったのは、学生時代で、日本資本主義論争史に興味を抱いていたころだ。野呂栄太郎や猪俣都南雄が木っ端みじんに批判したえせ理論家である、読むに値しない、と思えた。しかし野呂や猪俣を多少知るとともに、高橋こそ日本の左翼理論家の走りの一人にちがいない、二人こそ高橋のパシリにすぎない、と思えた。ひさしぶりに鳥羽欽一郎『生涯現役』(東洋経済新報社 1992)と谷沢永一『高橋亀吉 エコノミストの気概』(東洋経済新報社 2003)という高橋評伝、評伝中の評伝を堪能した。高橋は『日本資本主義発達史』を野呂よりも早く書いたが、日本共産党と岩波の力で、ながいあいだ黙殺・抹殺されたままだった。
 ただいま横井時敬(ときよし)を書きはじめている。小農主義者として柳田国男によって批判された明治・大正期の農政学者である。その柳田が農政学者を断念して民俗学者に転じている。この理由を書いたのが拙著『柳田国男』(三一書房 1999)だが、残念ながらほとんど読まれたり評価されることがなかった。