読書日々 655

◆140117 読書日々 655
ただいま、石油危機進行中!
 いちど読みはじめたのに、なにかの都合でながいあいだ中断していた、池上祐子『織豊政権と江戸幕府』(日本の歴史15 講談社 2002)を読みはじめた(3/1ほど読んだか)。このシリーズは網野善彦編集のもので、大いに期待したが、結局買ったのは久留島典子『一揆と戦国大名』(13 2001)と、2冊(全26巻)だけで、総論(00)の網野『「日本」とは何か』も書店でぱらぱらめくっただけに終わった。最新の小学館「日本の歴史」(全16巻)は1~5まで買って、こちらは読んだ。
 ところで池上の本は、とても読みやすい。しかも信長が権力を掌握する過程の巧妙さを小説も顔負けの巧みさで描いている。信長の権力基盤の継承者秀吉もまた、信長在任中に存分に信長から学んだ点を誰にでもわかるように叙述する。おもしろいのは11年かけた本願寺・一向宗との戦いだ。はじめロジスティクとくに制海権を握って大量の米や武器を補給し頑強に抵抗した本願寺派の拠点、海に浮かぶ都市伊勢長島・大坂を攻略するため、制海権を奪った。ついで堺や博多を自由都市(経済特区)にし、海外貿易に目を向けた政策などだ。この人司馬遼太郎の愛読者で、しかも司馬の歴史視点とは異なる分析を数多くはめ込んでいることがよくわかる。読まずにおいたままなら、この本の価値がわからずに終わっただろう。
 1/16 街に出た。車の中は暖かいが、外は寒い。車のほうは存外滑らない。もっともこの季節、車の運転がうっとうしい。しかも南3条通りは雪壁除けがされていない。道幅半減、のろのろ運転で始末に悪い。よく17日早朝、雪降る中を出たが、南2条通りはきれいに雪壁が取り除かれていた。家まで1時間半かってたどり着いたが、疲れた。
 堺屋太一『油断!』(1984)と『団塊の世代』(1980)は読んだ証拠に、線引きの跡、付箋もある。しかし記憶が無いのに、2冊の内容は読まなくとも(?)手に取るようにわかる気がする。団塊の世代はわたしより5歳下以下で、わたしの周囲に、女房をはじめたくさんいる。(雑誌『Voice!』で団塊の世代=全共闘「批判」を書いたことがあるので、『団塊の世代』だけは読了したはずだ。が、記憶にない。)
 読まなくともおおよそ要点はわかる。ことほどさように堺屋の2「造語」はマスコミや読書人に鮮明に刻み込まれたが、この2冊実は近未来小説なのだ。しかも79年、予測通り実際に第2次石油危機が生じた。ガソリンが160円台まで上がった。しかし日本人の頭に『油断!』その他が刻み込まれたせいで、73年時の大混乱は再現されなかった。便乗値上げもなかった。「備蓄」があったし、省エネも進んでいた。そんなことを思いながら、今日雪の中を走っていると、ときにガソリンスタンドに160円の看板が目につく。そう日本では現在「石油危機」なのだ。マスコミも、消費者も、企業も、石油価格の高騰に音をあげているはずだが、寂として声がない。政治や経済評論家、あるいはタレントがふだんは不満屋ばかりなのに、「いまある石油危機」に対して、政府の対策の不備を衝く声さえ上がらない。不満は「原発再稼働」に連動すると考えているからだ。「不都合の真実」である。温暖化対策の声も急にしぼんでしまった。
 1/15朝、JR北海道の元社長、坂本真一が自殺死体で見つかった。坂本さんとは社長時代ひょんなところ(南5西4のスナック 移転して名前は忘れた)で何回かあったことがある。話もしたはずだ。わたしより1つ年上で、いつも疲れを元気な声で吹き払う陽気さを装っていたこと憶えている。「死んで花実が咲くものか」ともいえるが、「墓場まで持って行きたいこと」がこんなわたしにもかなりある。『理想の逝き方  あの有名人101人に見る』(PHP文庫 2012)を書いた。ずいぶん前のように思えるが、2年前だ。わたしの同期の多くはまだ生存中だが、夭折したものも何人か出はじめた。72で夭折かといわれれば、やはり、そうだ、と答えなければならない。酒友たちも多く世を去った。