読書日々 660

◆140221 読書日々 660
吉本隆明論の新版は必要か?
 2/17 3/12に吉本隆明の講演を横浜でする。亡くなって2年たつ。6:00~7:30=緑区民文化センターにおいてだ。おそらく吉本さんについては何時間でもメモなしに話すことができるのではないだろうか。道新の中村さんから電話があって、吉本を読んだことのない人に向けてたメッセージ(1000字)を書く約束をした。これもうれしい。
 わたしの『日本人の哲学』は吉本隆明からはじまる。わたしもいっぱしのヘーゲリアンを気どっているから、だれから「はじめる」かはどうでもいいことではない。Principle(原理)ははじめから最後までを貫くIdentity(同一性)のことだ。その吉本との出会いがまた幸運だった。わたしが属していたセクトで、吉本批判を書くべしという要望(強制)があり、はじめて吉本の著作を手に取ったのは、大学院に入ってからだ。「幻想論の理論的支柱」(『唯物論』第一集 1869.10.20)で、卒業論文、修士論文に継ぐわたしの3作目で、はじめて活字になった、体裁だけは本格的な論考である。このころ吉本隆明や廣松渉は、マルクス主義者のあいだでは、新左翼あるいは修正主義者であるという評価だった。廣松、吉本、それに中野徹三を読んでいたわたしは、ならばわたしも「修正主義者」にちがいないと思えた。
 わたしは吉本主義者といわれている人たちとなんの繋がりもない外縁で、吉本の著作だけとつきあってきた。そして三一書房の林さんのすすめで、500頁近い大部の『吉本隆明  戦後思想史の検証』(1990)という解読書を書いた。増補版(1992)が出たので、少しは売れたのだろう。2011年、デジタル版=3版を残した。1990年、バブルの崩壊以前でわたしの吉本論は終わっている。しかし、「重層的非決定」も「消費資本主義論」もすでにある。吉本論として(ある程度)完結したものとなった、というのがわたしの考えだ。ただひとつつけ加えるべきだとすれば親鸞論だが、それは『日本人の哲学1 哲学者列伝』の親鸞論で採りいれることができた。
 2/21 ずいぶん暖かくなったものだ。暖かくなったらまず手をつけなければならないのが、書斎の通路に並んだ本を書棚に戻すことだ。いま「歴史の哲学」を書きはじめている。これに必要な本が、その前に必要だった「文芸の哲学」「政治の哲学」(これはあまり多くない)、「経済の哲学」の本どもと並んでいる。よく足に引っかけて、狭い通路をふさぐことがある。まあ厄介だね。
 竹越与三郎『二千五百年史』を探していたら、同じ書棚から門脇禎二・黒田俊雄『テキスト日本史』(三一新書 1958〔5刷:61〕)が出てきた。懐かしい。
 著者はわたしたちの学生時代の古代史と中世史の「新鋭」で、黒田さんは予備校(大坂YMCA)でも習ったことがあった。このテキストは文字どおり歴史科学研究会の輪読会のテキストで、わたしが部長をしていたのではなかったろうか。OBからは、おまえらのは「科学」ではない「歴史同好会」に改称しろ、などとなじられた時代である。わたしなどはまじめに「歴史研究会」に改称しようと提案したことがあった。「歴史」は「科学」ではない。それ以上のものだ、という想いも多少はあったからだ。
 各章・節には研究会での発表者名が記されている。飯田、山野、それに長谷川さんなどの名だ。著者の黒田さんはばりばりの共産党員で、中世史の若きエースとして中央公論の「日本の歴史」で『蒙古襲来』を書いていた。わたしは大学内の共産党員にはなんの記憶も気後れもなかったが、この人だけは苦手だった。文学部の助教授だった黒田さんは、助手会が体質改善を教授会に申し込んだとき、自分の助手(助手会の代表の一人)に向かって、「おなえが辞めてから文句を言え」と、直言した。助手をコントロールできないのは、教授や助教授のせいである、というのが1960年代までの「習慣」だったのだ。ただしこんなまともな物言いを、上品な教授はしない。でも黒田さんは、堂々とやった。自信があったからだろうと思え、かえって気持ちがよかった。ただしこのテキスト、いま読むと、唯物史観の適用でひた押す、遺物である。