読書日々 665

◆140328 読書日々 665
春です。仕事は、各駅停車から、準急程度にはスピードアップ
 急激に暖かくなった。日のあるうちは暖房を消す回数が多くなる。早朝の馬追は、濃い霧が出て、昼の暖かさを予測させるようになった。もう家の前の土手の日当たりのいいところにいつも出る蕗のとうは食べた。そばつゆに落とした天麩羅でこれが絶品だった。ただし、ここへ来て30年、よほどのことがないかぎり、蕗のとうは1年に1度食すだけであった。この雪解け時期、10年前までは山に入って雪の下を採っていたが、熊が出るという立て看板が出てからは、辞めてしまった。無性に残念だ。犬と一緒に雪道を分け入る時の気分だけはいまに残っているが。
 3/24 街に出る。「亘」にいき、「古今亭」にいったが、9時前に沈没。約束の店を素通りして、ホテルに。それでもいつものように、歯を磨いて寝ていた。
 3/25 墓まえりその他で上京していた規子さんが戻った。この間、少し頑張りすぎて、へたりそう。迎えに行った空港で、ひさしぶりに吉野家に入ったが、飯時というのに客はちらほら。カレーライス(牛盛り)を食べたが、味がわからない。
 3/26 甘い京菓子(ゼリー状)をかじったとたん、舌に異物が落ちた(?)。左下奥歯の3本がはげ落ちたのだ。すぐ入れ直したが、歯医者に予約を入れる。こういうことは過去何度かあったが、案外に怖い。
 3/27 スナック「音音」が7月で店を閉じる。そのママから、大好きなイチゴとデカポンが、文字どおり、どっさり送られてきた。なじみの店がどんどん消えてゆく。それは仕方がないが、夜中近く、もう一杯飲みたいという店がなくなるのは何といっても寂しい。
 『歴史の哲学』は120枚まで進んだ。積み木崩しにならないことだけ願っている。
 平泉澄『物語日本史』、頼山陽『日本外史』、徳富蘇峰『近世日本国民史』、竹越与三郎『二千五百年史』は、渡部昇一さんも推薦の日本「通史」である。内藤湖南は、日本の歴史を知ろうと思えば、大鏡、愚管抄、神皇正統記、白石(神皇正統記)、それに伊達千広の大勢三転考を読めば十分だと書いている。谷沢先生の指摘で知ったが、日本書紀がないのは、北畠親房の神皇正統記を読めば十分と思ってのことにちがいない。六国史は役所の記録をとじ合わせたようなものだ、と一蹴する湖南の論法は、いつもながら気合い十分である。
 『大勢三転考』は紀州藩の家老職にあった著者が、政争に敗れ閉門蟄居、許されたが、公武合体に奔走し、永世蟄居・幽閉にあって、書き残した書だ。「三転」とは、氏族制、律令制、幕府制の三画期であり、「大化の改新」と鎌倉幕府の発足が「転」の結節点とする歴史観だ。幕末に書かれたが、維新後許されて、出版されたいわく付きの本である。
 それに付け足しておかなければならないのは、この千広の失脚が、伊達小次郎、のちの伊達宗光の父で、小次郎が若くして紀州藩を出奔し、坂本龍馬に親しくしたがって活躍する機縁を作ったということだ。維新後、許されたのは、維新になったからではなく、小次郎=陸奥宗光が新政府内にポストを得たからで、だがこの息子、父親の徹を踏んだのか、論も立ち実行力も抜群で、それで政府転覆の陰謀に加わり、重罪人となった。能力重視の新政府はその罪を許し、日本外交の前戦に立たせた。宗光の血には、父と、兄とも師ともいうべき龍馬との血が流れている。
 平泉は「皇国史観」で、虚名(?)が上がったが、『物語日本史』は純真な少年に読ませるために、戦後の1970年に書かれたものである。延喜・天暦(醍醐・村上)時代を回復(復古)するために、建武の中興=後醍醐・後村上の吉野朝や明治維新を特筆大書している。いかにも「皇国」にふさわしいが、「中興」と「維新」ではまったく性格が異なる。「王政復古」では同じではあっても、一方は「踏襲」なしは「反動」であり、一方は王政復古で産業資本制と民主制をめざしたのである。「復古」だが「革命」である。