読書日々 1624 世界系・司馬遼太郎(2) 

◆231229 読書日々 1624 世界系・司馬遼太郎(2)
 年末である。この一年、個人的にいえば、「悔い」が残るのは、この読書日記(1207日)を1回欠落したことだろう。
 元助手の井上さんに指摘されて、気づいたが、もう遅いというか、ま、いいか、となった。長いあいだ待ち望んでいた「新刊」が出来あがるというので、われながら舞い上がっていた、という事情もあったが、やはり「惚け」である。
 1 今年も、坦々と(day by day)、決めたことをやってきた。なにせ、時間がある。足りないほどにある。30代の半ばから、妙なスケジュール表(1日を6×5時間で暮らす)を作って、実行しようとしてきた。8分どうりは、やりおおせたのではないだろうか。ま、教師は「休日」が多いからではあったが。定年退職して、10年、刊行した著書は30冊を超える。ま、2020年以降は、書き下ろしはなく、すべて、旧稿の再編成を基本とするものだ。
 ただし、旧稿の再編集、これが、晩年を迎えた物書きには、特段に重要と思える。「積み残し」であり、旧稿(特に連載もの)のブラッシュアップである。著者にとっては、生きている子・孫に等しい。今年も、2冊、言視舎の杉山さんの力で、出版にこぎつけることが出来た。
 2 「来年のことをいうと、鬼が笑う」と言われるが、わたしは40年間、「来年」のことを公言してきたように思える。ま、最近は、「公言Lする余裕、意気込みを失ってきつつあるが。それでも「吠えたく」思うことしきりだ。
 2 娘家族がやってきた。夏は猛暑だったが、冬は穏やか。二人の孫娘は、どんどん成長している。そういえば、反して、わたしのペースはこの40年以上、ほとんど変わっていない。ただし、聖地巡礼の旅で、20年間、1~2週間の海外遠征をした以外を除いてはだ。「浪費」の日々を過ごした。最も印象的だったのは、イスラエルとパレスチナの共存と対立だった。まだ数百キロにわたる壁はなく、テロも稀だった時代だ。その後、『山本七平』(言視舎評伝選 2016)で、シナイ半島の光と影を存分に書くことができた、と思える。これは、わたしの先生方を含むほかの思想史で、よくなしえなかった仕事であった。
 3 世界系・司馬遼太郎(2)
 *『中外新報』24( 週2回 最終回) 
●司馬文学はグローバル・ワンである
 司馬は漱石を好んだ。その漱石は漢文学にあこがれ、英文学を専攻したが、東西の文学識はあまりに異なっていて、ひどい失望を味わった。江戸文学の主流は儒学であり、漢詩であった。漱石にとっての最初の文学とは、これのことだったのである。
 司馬は、この東西の文学の壁をやすやすと超えた。司馬文学には何でもありであった。政治小説、経済小説、歴史小説、紀行文学、ミステリー、等々、近代西欧小説の枠に収まらないものをいろいろに分類するが、司馬文学にはそのすべてがあった。司馬文学は私小説から最も遠い人のように思われているが、司馬作品のどの行にも、司馬その人がぬっと登場してきた。「ところで」といって本人が登場することもしばしばだった。
 ほとんどの作家は、作家自らが生みだした作品より小さいものである。司馬とその作品はほぼ等価、つまり、作品も人間も底なしであった。司馬は現実のつきあいで人誑(ひとたら)しで通っていた。例えば、司馬からもらった手紙葉書の類を御身宝と抱いている人は数知れないだろう。そして、司馬の人誑の最たるさまはその作品に登場する人物に現れる。おそらく『花神』の村田蔵六(大村益次郎)ほどつきあいづらい人間もいなかろうが、その蔵六がほれぼれするような男の典型として登場するのである。
 司馬の人誑しは有名だが、司馬の紀行文を読むと土地誑しであることが如実にわかる。具体的な人間は真空状態の「自我」としてあるのではなく、歴史の中に生きている。とりわけ土地に生きる。その土地の描写が惚れた女を表するがごとくなのだ。司馬の「街道をゆく」は捕物帖と同じように、読み切りの短編小説の連なったものだと思っていい。主として柳田国男は過去の断片に現在を読みとった。司馬は現在の断片に絢爛たる土地の興亡を読みとる。
 その土地誑しの読みとりの仕方もまた独特だった。司馬は、アメリカをスケッチしようとする。第一「資料」はアメリカ文学である。とりわけ小説だ。アイルランドもまた然り。司馬の「愛蘭土紀行」は全編これアイルランド文学論、文学散歩でもある。もちろんあの難解で知られるジョイスも存分に論じられる。ミステリーの松本清張は芥川賞を受賞したが、松本の歴史好きの背後に「文学」が、とりわけ小説があったように感じることはできない。
 つまり、司馬は小説という形で森羅万象を、思想とは何か(『空海の風景』)さえをも諄々と説きおこす。しかし同時に、あまたある小説を第一の窓として世界を解き明かす。小説を文学の首座におく試みを司馬は生涯を通して敢行したのである。小説を一片の宣言によってではなく、作品によって革新しえたゆえんだ。
 司馬は大阪を愛した。局限すれば布施を愛した。大阪のベターと広がる蒸し暑きほこりまた多き下町の一角である。その司馬が世界(グローブ)を愛し、歩き、記しとどめた。人と土地と文学をである。私は残念ながら、生前の司馬の温顔に浴することはなかったが、その作品を堪能し続けることはできる。まさに司馬こそ私にとって、グローバル・ワンである。(了)