読書日々 1636 眼は口同様、物を言わない 

◆240322 読書日々 1636 眼は口同様、物を言わない
 やはり3月だ。陽射しが暖かくなったが、日陰に入ると、ぐんと寒い。北風になると、ぐんと冷えてくる。三寒四温と言われる特有の季節だが、札幌の「春」はまだまだ遠いように感じられる。
 1 わたしの上の階に、新住人が入った。およそ1年半ぶりではないだろうか。60代のご婦人だそうで、その娘婿という人に一昨日お会いした。使用する駐車場の雪をかいていた。
 このアパートは、私たち夫婦を含めて、高齢者が多い。私は、昼間、1、2回、新しい空気を吸うために(同時に暖房機を止めるためもあって、そして太陽に当ることを願って)外に出る。雪はほとんど消えた。が、昨日もときどき寒風が突き抜けた。
 ときに、さまざまな年令のひとにお会いするが、挨拶はするが、建てて40年近くなるのに、住人誰それの名前すら知ることなく今に至っている。ま、これが私の性癖だからというのが「言訳」だ。
 2 2016年、長沼加賀団体を離れるとき、昔から行きつけの眼鏡屋に行った。メガネの矯正では、0.1以上は見えないので、と眼科へ行くことを奨められた。目医者は厭だから、運転免許を返上する「口実」が出来た。それに、最後の車は、乗ってみたい最後の車で、しかもハンドルを握った瞬間、「暴走」不可避と感じられた、(最近なぜか話題になっている)日産ジューク(小型で3ナンバー)だった。実際、2度ほど「暴発」したことがあった。すんでの所で「回避」出来、大惨事を免れたが、それで自動車を諦め切ることができた。老人の三種の神器(とわたし自身が言った)、メガネ、車、TVのうち、二つを失った。
 「眼」のことをいうと長くなる。最初、中学で野球部に入り、天気の良い日に、高く上がったボール(野球)を見失った。教室の席は一番前にしてもらったが、中2の時、絵の鈴木先生に、君は眼が悪いからメガネを掛けた方が良い、といわれた。それから、メガネとの長い歴史がはじまった。
 最大の難儀は、NYのホテルで、メガネを割ってしまったときで、「老眼」(読書メガネ)で残りの旅を強いられたときだ。編集者とともに、取材で、SF、ボルティモア、ワシントンDC、テネシーのスワニー、フロリダのオークランド等の大学を、獄夏期に廻った。これには難儀した。
 「検眼」、これが今回の眼鏡屋参上の第一目的だった。検眼の末、0.1までしか矯正不可能、眼科医に行くことを、前回同様奨められた。これで、メガネのことは最後的に諦めることができた。何、本は裸眼で読める。PCは、文字拡大で対応出来る。TVはちょっと困るが、見えないわけではない。むしろ見過ぎなのが問題なのだろうが、人間であるからには、やめるわけにはいかない。「現在」との切実なる接点なのだから。などというのは口実にちがいなく、ただただ面白いからだ。
 3 現在、日本最初の「建築」家、藤原不比等を書いている。藤原氏の「最初」の人で、日本建国期、「歴史」(日本紀)と律令(大宝・養老律令)を制定し、国都にふさわしい平城京をデザインした、皇室伝統と天皇は「統治すれども支配せず」の日本型国家システムとその存在様式を創建した日本最高の政治家と言っていい。
 といっても、「法令」といい、現実の政治過程といい、「例外」と「逸脱」の連鎖と一つながりである。不比等の生前も死後も、その「例外」や「逸脱」をどう「解決」したのか、出来なかったのか、それが私の関心の中心でもある。
 原則(主義)と改良(主義)の組み合わせ、これが現実主義である。その「組み合わせ」に齟齬が生れたとき、どう処理=解決するのか? 現実主義政治の腕の見せ所である。天武が皇太子(次期天皇)と定めた草壁皇子が、20代後半まで皇位継承がならずに死去、持統皇太后が即位する。皇統における最初の齟齬だ。
 最大の難点は、不比等のシステムから、不比等の「鬼子」とでもいうべき「光明子」が生れた。「例外」であり「異例」である。不比等の改良=修正主義があればこそ、光明子は「皇后」に、皇太后となり、娘妃を「皇太子」に、そして「天皇」に仕立てあげ、自らは政治の「実権」を恣にし、唐(周)の則天武后さながらに、政治を壟断し、「社会」を混迷の坩堝に追い込んだ。
 不比等の現実が必要とした「例外」措置、さまざまな備忘策が、不比等の政治ルールを踏み越え、破壊してゆく。でも、メインルートがきっちりしていれば、「旧」(本道)に戻るルートはある。それをこそ辿ってみたい。藤原道長へと続く道だ。