読書日々 688

読書日々 688

◆140905 読書日々 688
「ゼロの焦点」はどんどん焦点がぼけてくる。そういえば「ゼロの真実」もあった
1 気持ちのいい日が続いたと思ったら、うっとうしい日がやってきた。この長沼に越してきたときは、この季節、平地は一面黄金の輝きだった。それが30年で、水田は半減、否、三分の一になったようにさえ感じられる。大豆、小麦、エン麦その他に変わった。人口はそれほど減っていないのだから、私のような流入者が増え、農家が激減したのだろう。
 もちろん長沼だけではない。由仁も、栗山、栗沢(すでに岩見沢市に編入)も、そして人口減に転じた南幌も、「高等学校」が姿を消し、小中学校は1校に統合されつつある。人はこれを地方の危機ととらえるが、日本がマルサス流の「人口」問題を「解決」したからではないのか。それにモータリゼーションの時代だ。
 札幌からいちばん遠いのが根室である。その根室から、今週の日曜日、娘婿の父親が北海道マラソンに参加し、日帰りで帰ったそうだ。もちろん電車では不可能である。車なら、多少の無理をいとわなければ、全道どこでも、日帰りでビジネスを済ませることが出来る。ことほどさように、移動が迅速可能になり、「地域」の感覚が変わったのだ。
 北海道はせいぜい、①道都(札幌特別区)②道南圏(箱館)③札幌圏(札幌)④道央圏(苫小牧)⑤道東(釧路)⑥道北(旭川)の独立自治体でいい、がわたしの年来の考えだ。
2 一つまとまった仕事を終えると、なぜか松本清張ものが読みたくなる。今回は『小説東京帝国大学』(1969 全集21)を読んだ。哲学館事件を発端とする明治20年代から昭和初期までを含む、戦争と謀略事件を絡ませた、清張作品としては異例とも思える、「引用」の連続の作品である。哲学館とは、井上円了が創立した学校で、東洋大学(哲学科)の前身である。帝大と私立学校のちがいは、歴然としていた。最初に私立の大学と認められたのが、慶應義塾(大学部)で、早稲田が、中央、明治、法政という東京六大学のメンバーがつづいた。日本法律学校も1903年日本大学になるが、東京七大学とはならなかった。東大ではなく日大が東京六大学(ナンバースクール)になっていたら、大学勢力図もずいぶん変わっていたものになっただろう。ただし私立大学が、大学令によって「公式」に大学になったのは、1920年、原敬首相のときだ。この小説で暗躍するのは、下田歌子と飯野吉三郎(隠田の怪行者)である。二人とも怪人の類いだ。
 そういえば、BSで毎週のように清張作品(映像化)が再放送されている。今週、清張生誕100周年記念作品「ゼロの焦点」(2009)・広末涼子主演が放映された。広末、中谷美紀、木村多江というコンビは、ちょっと見物だったが、広末に新婚者の新鮮味が欠けていて、凄まじい映画の出来にになって、かえって面白かった。この映画で、舞台となった能登半島の西岸「羽咋(はくい)」は観光と自殺の名所になった。訪ねようとしたことがあったが、残念ながら、工事中で近寄れなかった。
 わたしが見た「ゼロの焦点」は、61年映画=久我美子・高千穂ひづる・有馬稲子、71年TV=十朱幸代・奈良岡朋子・長山藍子、83年TV=星野知子・大谷直子・竹下景子、91年TV=眞野あずさ・増田恵子・芦川よしみで、やはり初演のコンビがよかった。というか、敗戦後の貧しい物心「景色」が如実に残っていたからだ。
3 TVのスーシエ主演のポアロものが、終わるそうだ。その記念番組が、木曜日にあった。あいにく、雷が鳴ったのか、電波が乱れたので、録画が不十分だった。前60本になるそうだが、残るは5本だそうな。放送済みのものは、ほとんどはDVDでもっている。何度観たか分からないほどだ。ホームズものは、あれもこれもDVDで集めたが、ポアロはスーシエでたくさんという気がする。
 映画のマープルものは、「色物」女優が多く、まずい。TVのジョーン・ヒクソン、ジェラルディン・マキューアン、ジュリア・マッケンジーの三人がそれぞれ秀逸だ。なかでも軽快なジュラルディンが好きだったが、1932年生まれなのにびっくりした。それで交替したのだろう。マッケンジーも悪くはないが、上品というか、インテリの感じが勝っている。ぜひともうるさ型のおしゃべりでなくてはならないのだ。