◆240726 読書日々 1654 『天上の青の』
1 毎日、朝顔が1~2輪、花を広げる。青紫の大輪だ。
曾野綾子さんに『天上の青』(1990 毎日新聞)という傑作がある。朝顔が開くと、いつも曾野さんの「犯罪」と「信仰」の狭間を揺れ動く振動音が聞こえてくるように思える。その狭間は、左右に分かれているのではなく、重奏態としてある、と思えた。主人公(女)の背後を未知の男(殺人犯)が素通りするだけで、強い「気脈」(電流)が生まれるという風なのだ。
こういう表現を使ったら誤解を生むかもしれないが、スーシエ演じるところのポアロが、未知の相手にすれ違うだけで、得体の知れない異常な「電流」を感じ取ることができる、という具合の気脈に似ている。曾野さんお得意の「勘」か?
じゃあ、朝顔は十分に不吉なのか? 間違いない。でもおぞましいほどに美しい。だがはかない。(ま、そんなに真剣に対峙しているわけではないが。)
2 毎日、旧稿を開いて、「校正」している。これが「仕事」とかというと、そう言うほかない。
76歳で、『日本人の哲学』を書き終え、車を捨てて、厚別の生家跡にに戻ってきた。
時間が許せば、最終的に書きたいと思ってきた、福沢諭吉論と三宅雪嶺論も書き切り、その間に、山本七平論も書いてしまい、……、他にやることがないので、「読書日々」を書き続けている。これは、つい最近、1600字から800字に縮めたが。
3 厚別では、誰とも会わないように暮らしている。2月に1度、床屋に行き、4日に1回、ピースのライトを近くのコンビニに買いにゆく。2軒、交互にだ。わたしが入店すると、定員は、注文を確認せずに、ピースの置き場に進む。
本は、相変わらず、裸眼でなら読むのにふじゅうはない。それぞれ面白いが、そのときだけだ。「書く」ために読むのと、「読む」ために読むのとでは、全く違ったことだと見なしてきたが、いまでは、たいした差はない。書こうと思うのは「厚別遠景」だが、バンバン書けるようで、そうもいかない。