読書日々 1655 「折々の……」(朝日新聞)

◆240802 読書日々 1655 「折々の……」(朝日新聞)
 「折々のことば」(鷲田清一)は、最近、つとに好調だ。この「コラム」、1979年の大岡信「折々のことば」以来の愛読者だが、新聞を開いて、最初に目がゆく。ときに切り抜く。
 「みんなが正しいといい始めたら、一回はそれを疑ってみること。一度だけでいいから左を見てみること。」(永田和宏) 8/2の「ことば」だ。まことに穏当で、正しい。
 聴講する学生や私自身のこどもに向かっては、私もそうしてきた。しかし、自分自身に対しては、多少とも「考えることをこととする者」として、わたしは、つねにとはいいかねるが、「みんなが正しい」と言い始めたら、「反対する。してきた。しなければならない」を性癖としてきた。
 この性癖は、多分、幼少期以来のもので、関西に行って、谷沢永一や司馬遼太郎の作品を読むようになって、さらに強まった、否、固まったように思える。思い出すたびに、自責の念に駆られることがある。
 父母が郷里さっぽろからやってきて、紀州の南端、勝浦温泉に向かう途中であった。
 政治好きの父は、政治談義が好きだった。自民党の強固な支持者で、選挙違反で拘留された体験さえ、自慢の種とする開けっぴろげの人間だった。「アカ」のやることはとんでもない。許せない。」ストや大学闘争で旅情を壊された、父の愚知であったと思える。
 だが共産主義者と自認していたが、わたしにとって、「アカ」ということばは許せなかった。反射的に、父に向かって「列車を降りろ!」といっていた。それ以来、父はわたしに向かって、政治むきのことを語らなくなった。ただし、「列車を降りろ!」には、私自身が一番びっくりした。
 わたしは、自身を平凡な民主主義者と思っているが、それでも、スピノザの影響もあって、「偏屈」な民主主義者となった。ますますその性癖は強まっているのではないだろうか。
 それに、多数派になるな、多数派をめざすな、と自分を戒めてきたが、ときに、否、ときどき、多数派になることがあった。そんなときほど、座り心地が悪かった。会議には出席せず、自ずと委員名が消えるのを待った。