読書日々 709

◆150130 読書日々 709
イチロー(41)がマーリンズに入団した。第4の外野手としてだ。いいね!
1 この20年近く、ずっと野茂(投手)、羽生(将棋)、武(騎手)、イチロー(野手・打撃)を追ってきた。正真正銘のニュー・カマー=「新人類」である。戦前・戦後という対立軸ではくくれない、高度産業=消費資本主義が生み出した新種のトップランナーたちで、団塊の世代の子どもたちである。すでに野茂は引退し、さすがのイチローも引退間近にさしかかっている。それでもこの4人は「競争」をいとわず、そのなかで揉みに揉まれ、圧倒的な力で勝ちを拾ってきた勝負師(the risky)たちである。
 追いはじめたのは、無意識であった。興味本位といってもいい。とにかく彼らは突出していた。異質なのだ。類型(モデル)のない子たちだった。だが彼らが時代の子ならば、その彼らが日本社会の中心になりつつあるこの時代の大変化が、彼らとその同類たちの「観察」を通じて見えてくる。この大変化が後戻り不能になったのは1985~90年の「バブルの時代」で、何を隠そう日本が「デフレ」の時代に突入したのである。
 消費資本主義をどうとらえるか。吉本隆明のように、個人消費が国民消費(GDP)の50%を超え、必要消費を選択消費が上回るという経済指標を用いるだけでは不十分だろう。じつは、1970年代、生産資本主義から消費資本主義に転換をはじめたときの「変化」は、戦前=国家社会主義から戦後=国家資本主義に転換した時期よりも、はるかに「裂け目」(クリーズ)が大きかったのだった。それを証明したのが、(国家)社会主義ロシアやチャイナの崩壊だった。(国家)社会主義と(国家)資本主義は「連続」しているが、生産(中心)資本主義と消費(中心)資本主義には「断絶」があり、移行も簡単ではない。
2 古代ギリシアやローマ時代のアテネ国やローマ国は、典型的な消費社会(資本主義)である。田中美知太郎を通して読むプラトンは、その社会の住人であり、その社会を「革命」しようとするイデオローグである。その「心魂」(プシケー)論、「知性」(ヌース)論、イデア論が、最後に人間本性論にたどり着きそうなのは、アテネの社会構成にある(ような気がする)。
 そうそう、孔子を現代に蘇らせたのが伊藤仁斎だとするなら、プラトンをほぼ同じ手法で現代に蘇らせたのが田中美知太郎である。孔子に帰れ、プラトンに帰れは、孔子やプラトンにもとづいて孔子やプラトンを理解する、これである。
3 谷沢永一先生の『日本人の論語 伊藤仁斎『童子問』を読む』が「決定版」として同書題で単行本化された(PHP 2015.2.9)。新書版上下と違って、落ち着いて読むことができる本に仕上がっている。(廉価=新書版は、これから書籍の王座から陥落するのではないだろうか。そんなことを書いてみたいね。)
 先生がなによりも強調されるのは、伊藤仁斎が史上初めて孔子(と孟子)にもとづいて『論語』を理解することで、その研究成果から『童子問』が生まれた、だから、この書を現代に蘇らせる必要がある、これである。ところが残念なことに、田中には、無数に「人性」論があるのに、『童子問』に匹敵するような、対話術の達人プラトンに仮託した『だれにでもわかる人性問』がないのである。
 わたしの最新刊『ヒルティ 老いの幸福術』(海竜社 2015.1.31)は、ヒルティ『幸福』の改説だが、だれでもわかる幸福「術」(ハウ・ツウ)の見本をめざしている。『論語』、プルタルコス『モラリア』、ヒルティ『幸福』、これがわたしの選ぶ世界三大幸福論だ。
 それにしても田中の『プラトン』は大冊だ。全部で2000ページある。一読するだけでも一苦労だ。これを77~82歳のときに出したのだから、尋常のエネルギーではない。わたしなどが、75歳までに『日本人の哲学』全5冊を出そうとして、悲鳴を上げているのとは、わけが違う。痛切にこう思える。